2004年12月31日

第16話 犬嫌いな人々…(その1)

第16話 犬嫌いな人々…(その1)

イヌを怖がる



毎日自転車で頃を散歩していると、時々必要以上に犬を怖がっている人たちに出会う。

たとえば歩道をすれ違う時に、遥か向こうの方から犬連れの僕に気がついた人が塀にへばりつくようにして僕たちが通り過ぎるのを待っていたりする。
何気なく通り過ぎてくれればコロも相手の顔を一瞥するだけでおとなしくしているのだが、見るからに犬を怖がって緊張している様子がコロにも伝わるのだろう。
時にはその人たちに向かって吠えたりしてしまうのだ。
そのたびに僕はコロのチョークチェーンを引っ張って叱っている。

たぶん犬をよく知らない、大きな犬に接したことのない人なのだろうけれど、ちょっと身体が大きな犬というだけでこんな様子なのだ。
もし僕がこの人たちと少しでも交流があったら、
コロをおとなしくオスワリさせて犬の触り方や接し方をレクチャーしてあげられるいし、大きな犬の方が性格がのんびりしていて、かえって怖くないことを教えてあげられるのだが…

みんながみんな犬好きになる必要はないし、『犬が嫌いだ』と言う人がいても僕はいいと思っている。
だけど、犬に対する無知から必要以上に怖がるのは愚かしいと思うのだ。
おそらくイギリスをはじめヨーロッパの先進国ではこれほど犬を怖がる人々はいないだろう。

『攻撃性』を訓練された軍用犬に使われたような犬種(ドーベルマンやジャーマンシェパード)ならともかく、うちのコロのようなレトリバーなどのどちらかと言うをのんきな馬鹿っぽい大型犬までを怖いと思ってしまうのは本当におかしい。攻撃性ならば小さなテリア系の犬種のほうがよっぽど強いのだ。

塀の中で犬が来客にむかってほえているのをよく見かけるけれども、その犬は人を攻撃して噛みついてやろうという気持ちで吠えているのではない。
見知らぬ来客を怖がって、「誰か応援にきてくれー」という気持ちで吠えているのだ。

もしその家のヘイの中に犬が逃げていく十分なスペースがあるのならば(窮鼠猫をかむ立場にその犬をおかないように)、吠えてる犬を無視して門のなかに入っていくといい。それまで今にも噛みつく勢いで吠えていた犬はびっくりして逃げ出すだろう。そして十分な距離をとってから安心して再び吠え出す。
そう、吠えるという行為は、一人じゃ怖いから仲間を呼びあつめるためになされているみたいなのだ。

犬はオオカミが幼形化したものだという。全ての犬は子どものオオカミなのだ。大人のオオカミはうなることはしても吠えたりはしない。吠えるのは幼い子どもの狼だけだ。
そういう意味で吠えている犬はそんなに怖くはない。

もちろん、例外もあるけれど、子どものころから何回もイヌにかまれている僕が言うんだから間違いない。
ほえているイヌはそんなに怖くない。それよりももっと怖くないのがのんきな大型犬だ。

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2004年12月29日

第15話 犬の散歩仲間

第15話 犬の散歩仲間



コロ散歩に毎日出かけるようになって、散歩途中で出会う犬の散歩仲間というか犬を通じて出合った飼い主さんたちという新しい知り合いが出来た。
飼い主の名前は知らないけれども犬の名前は知っている、そんな知り合いだ。

たいがい同じような散歩時間になっているので大体同じような人たちと出会うことが多い。
中には犬そっちのけでおしゃべりに夢中のおばさんたちもいるが、僕はあまりそういう中には加わらないようにしているので、ほとんど挨拶する程度なのだが、相手も同じように僕の名前は知らなくてもやたら元気のいいラブラドールの飼い主ということだけは知ってもらっている。

そんな知り合いに、年老いたゴールデンレトリバーの飼い主のおばさんがいた。その家はゴールデンだけじゃなくて他にもセッター種の犬や柴系の雑種など3.4頭の犬がいるらしい。そのうちの一頭ずつ何回も散歩に連れているのを見かける。ある犬は自転車で、ある犬は徒歩でと一頭ずつ散歩に行っているようだった。
出会うたびにそのおばさんは遠くからでも「コロちゃーん」と声をかけてくれるのだ。
駅の近くのおばさんのうちも分かっって、その前を通るたびに玄関先で日向ぼっこをしている年老いたゴールデンを見かけた。

先日悲しい出来事があった。
人の噂で知ったのだがそのおばさんの高校生の娘さんが交通事故で亡くなったという話だった。バイクでトラックに巻きこまれ、遺体の損傷も激しくて痛ましい事故だったという。
僕も子どもを持つ親としても胸がつまる思いがした。

それ以来、犬を連れて行く公園にそのおばさんの姿が見えなくなった。
毎日同じ時刻に散歩仲間の誰かと同じベンチに座っていたおばさんがその後ずっとやってこなくなってしまったのだ。

どうしたのだろう、とずっと気になっていた。毎日の通勤途中に少し遠回りしてそのおばさんのうちの前を通っても、犬たちが一匹もいないのだ。
いつもなら玄関先で必ず寝そべっているゴールデンも見えない。

おばさんは犬たちを飼う気力も無くしてしまったのだろうか、あの犬たちはどこかにもらわれるか、処分されてしまったのだろうか、そんなことをずっと僕は考えていた。
玄関先に、むなしく吊り下げられている何本もの犬のリードを見かけるたびに、いったいどうしてしまったのか、胸が痛くなるような気持ちがした。

一ヶ月ほどしたあとだろうか、おばさんちの玄関に再び、あの年老いたゴールデンがいるのを見かけた。前と同じように玄関先で日向ぼっこをしている。他の犬たちも戻ってきているようだった。
後からなんとなく分かったのだが、この一ヶ月の間、朝の散歩仲間が手分けをして犬たちを預かっていたらしい。

僕は傍からみてるだけしかなかったけれども、よかった、と心から思った。犬たちの境遇もそうだけど、あのおばさんがまた犬たちと暮らしていく気持ちになったことがうれしかった。
人生経験の浅い僕がこんなことを言うのは不遜かもしれないが、つらい体験や重い悲しみは多分月日がたっても消えないし、癒されもしないだろう。けれども、それに押しつぶされずに、なんとか前を向いて生きていくことが大切なのだと思う。

今も犬の散歩途中でこのおばさんに出会っても、僕はどぎまぎする自分を抑えて「こんにちは」と挨拶を交わすだけで通り過ぎていく。だが、毎朝少し遠回りしてこのおばさんの家の前を通って駅に行くようになった。
年老いたゴールデンは今日も玄関先で気持ちよさそうに寝そべっている。

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2004年12月26日

第14話 コスモス畑でつかまえて…

第14話 コスモス畑でつかまえて…

犬にとって美しい風景とは
公園のコスモスの前でうれしそうに笑うコロ



犬にもきれいな風景が見えているのだろうか。
よく言われるように犬はあんまり眼がよくない。色は識別できないみたいだし、近視で遠くもモノはあまりよく見えないらしい。
(狩猟犬だった頃の名残か、動いているものは比較的良く見えるらしいけど…)

その視力を人間の何万倍といわれる有り余る嗅覚で補っているようだ。
だから、人間が見て美しい風景よりも、そのいたるところに小動物の匂いや仲間の犬たちの匂いがあふれているところの方が、たとえ荒涼な風景でも犬にとってはワクワクするような素晴らしい風景に感じられるのかも知れない。
それくらい犬にとっては臭いが大事なもののようだ。
コロを見ていると、それこそ必死になって臭いを嗅ぐことに一生懸命になっている。

実際、草むらなどに残された犬のオシッコはその犬の名刺のようなものだ。その臭いを嗅ぐことでその犬について何でも分かってしまうらしい。住所や携帯の番号まではわからないものの、性別や年齢、病気の有る無し、発情の有無、何時間くらい前にそこでオシッコをしたのかなど、その犬のありとあらゆる情報がそこに残されている。
だからこそ自分もより高いところに、新しい名刺を置いて自分の存在をアピールしているのだろう。(足を上げてより高いところにオシッコを引っ掛けるのは、自分を大きなオスだと思わせたいかららしい…これなど、人間のオスがシークレットブーツを履いて自分の身長をごまかしているのと同じだ…違うかぁ…。)

そんな大事な「臭い嗅ぎ」だから、シツケのために全くさせないというのは少しかわいそうな気がする。
実際に、側歩行を完璧にこなして、主人の横にぴったりとくっついている犬を見かけると、利口な犬だなぁと思う反面、犬本来の喜びを抑圧させられていて少しかわいそうな気もしてしまう。

だからと言って、片手でひょいっと持ち上げられるような小さい犬ならいいけど、ウチのコロ(36キロ)のようなヤツが散歩に行くたびに自由に暴れまわっていたら、それこそたいへんだ。
仕事でやっている犬(盲導犬や介助犬など)はしょうがないけど、ペットとして飼っている犬はほどほどでいいのではないかと思う。

コロの場合は、散歩の時間を半分にわけて、『おとなしく側歩行をする場所』と『自由に臭いを嗅いでいい場所』と区別して歩かせている。
以前は『おとなしく…』のところでも強引にひっぱたりしていたけれど、だんだんとコロもこのルールに慣れてきたようだ。
『自由に臭いを嗅いでいい場所』というのは主に近所の公園の中なのだけれど、
公園の草むらの中で
「よしっ、(臭いを嗅いで)いいぞ!」というと
コロは、
「わーい、わーい、やったぁー」と本当にうれしそうな顔をする。

他の犬たちの臭いがたくさんして、それこそワクワクするような風景がコロには見えているのかもしれない。


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2004年12月21日

第13話 動物病院の先生

第13話 動物病院の先生



コロの目頭の下がはれて手術をした。涙腺が詰まって腫瘍ができてしまったらしい。
幸い良性の腫瘍だったので摘出手術を受けて、直に元気になった。2年ぐらい前のことだ。
その手術はいつも行きつけの動物病院でしてもらった。
ウチの近所では一番信頼がおける(と僕が思っている)病院だ。
院長は、優しく、のんびりとした口調でやってくる動物に接している。、悪く言えばボーっとした感じだ。
コロが自分の半分の大きさしかない柴犬にかまれた時も、
「シバでもキツイ仔がいるからねぇー」と間延びした声で言っていた。

でも、その感じは決して悪くないし、僕は信頼している。

2、3年前のビーパルにこの院長のことが掲載されていた。やさしく熱心に診察する態度が、地元では、動物たちの『赤ひげ先生』と呼ばれている云々…と紹介されていたが、いいかけんな記事らしく、誰がそんなことを言っているんだよォー、と犬の散歩仲間の地元民がみんな言っていた。

この動物病院に若い女の先生がいる。不二家のペコちゃんとダッコちゃんを足して2で割ったような顔をしている。(どんな顔だよ?)
この先生も院長と同じようにいつものんびりとした感じで診察している。 コロがよくなついて、手術の後の抜糸はこの先生がした。

縫った目の下の糸をハサミで切った後、ピンセットで一本一本丁寧に抜いていく。
コロは痛みには鈍感らしく、注射されても少しも痛がったりしないのだが、このペコちゃん先生は、痛くないように一本一本を慎重に抜いていった。力が入るのかなかなかうまく抜けてくれない。

この時、一本糸を抜くたびに、この女の先生は、
「ンんッ…ウゥンッ…ンんッ…」と顔に似合わない、色っぽい声を出すのだ。

なかなかうまく抜けてくれないらしく、何回も何回も、
「ンんッ…ウゥンッ…ンんッ…」と場違いな吐息をもらしている。

僕はコロが暴れないように押さえつけていた。耳元で、この場違いな吐息が何回も何回も聞こえてくるので、僕はおかしくて笑いをこらえるのがたいへんだった。



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2004年12月16日

第12話 コロ、かまれる…またかよー

第12話 コロ、かまれる…またかよー
またまた、やられちゃいました。
今度は黒ラブに・・・


夕方、いつもの公園で、いつもの調子で、コロが散歩仲間の輪の中に入っていこうとしたときに、その中にいた一匹の黒ラブが突然コロに襲いかかった。コロの口もとに噛み付いて離そうとしない。見たこともない初対面の黒ラブだった。
うなって噛み付いたまま離さない黒ラブに対して、コロはヒャンヒャンいいながらあとずさりしていた。
やっとの思いで2頭を引き離すと、コロの口の中が血だらけになっている。
あわてて病院に連れて行った。

病院に着く頃には口の中の出血はおさまっていたけれども、下唇の右端はかまれた穴が開いている。鼻の右横も血がにじんでいた

病院ではいつもの獣医の女の先生に

「また、かまれちゃったのねぇー」とのんきそうに言われてしまった。何回目だ?コロ

それにしても、あの黒ラブの野郎ッ!っざけんじゃねーぞっ!
後日散歩仲間のおばさんに聞くと、前にもほかの犬に噛み付いていたらしいではないか!

おい、こらッ!かみ癖のある犬をノーリードで放すんじゃないッ!バカ飼い主!

(犬は悪くないんです。悪いのは飼い主だと思います。多分ストレスがたまっている飼われ方をしているのでしょう、かわいそうに!。)

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2004年12月14日

第11話 ハカイダー、コロ…

第11話 ハカイダー、コロ…



去勢手術後は、なかなか血が止まらなかったりしたので、コロは夜の間は家の中に入れておくことになった。

家の中といっても玄関の中だけなのだが、夜中にすぐに愛犬の顔を見ることができるのは嬉しかった。

家の中だとコロは安心しきっているのか、完全に熟睡するようになった。夜誰かが帰ってきて玄関のドアを開けてもピクリともしないことがある。


絶対に番犬にはなれないヤツだ。


あまりにもいぎたなく寝ているので、時々どこか具合でも悪いのかと思ってゆすってみたりしている。すると、うす目を開けて「あれれ?」という顔をして寝ぼけている。バツが悪いのか、お愛想にほんの少し尻尾を振ったりして誤魔化そうとしているのがミエミエだ。


ある朝、目を覚ますと、かみさんがカンカンに怒っていた。玄関のフローリングが1枚端から端まできれいに剥がされているのだ。
無残にも剥がされた板片は、犯人のよだれや噛み跡でボロボロになっていた。コロが暇をもてあまして一晩中カジカジと遊んでいらしい。
パジャマのままで、怒髪天をついている家内に僕は静かに言った。
「こおろぎよ、形のあるものは、いつかはその姿を失い壊れ去るのだ。それが早いか遅いかの違いはあっても・・・
こおろぎよ、(小さき存在のものよ、という意味)心を穏やかにすごして、己の愚かな怒りを静めなさい・・・」
こういう時に、こういうことを本当に口に出して言うと、フライパンが飛んでくるかもしれないので、僕は心の中で唱えるにとどめておいた。
それでも新築のフローリングを破壊された、家内の怒りはなかなか収まらなかった。
でも、その日の内にホームセンターで買って来た補修材で見ばえよく修理してしまうと、少しはその怒りも薄らいだようだった。
そう、壊れたら、直せばいいんだ。
人間だって長年生きていれば色々と体中のあちこちガタがきてくる。家だってモノだっておんなじだ。少しずつ治しながら、だましだまし、何とか付き合っていく…

そのことのほうがずーっと大切なのだ、と僕は思う。
コロは怒られて少しは懲りたのか、それからしばらくの間は、目立った破壊活動はしなくなった。

でも、最近では、少し大きくなったハカイダー2号(息子2歳半)がハカイダー1号(コロ)とタッグを組んで、家の内外を荒らしまわるようになってしまった。
1号、2号とも、叱られても叱られても、少しもメゲない。

家内ももう諦めたのか、あまり激しく怒ったりしなくなった。
コオロギはコオロギなりに少しは成長しているのかもしれない…悟りの境地にはほど遠いけれども。
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2004年12月12日

第10話 去勢のための入院、そして…

第10話 去勢のための入院、そして…



前回、凶暴な犬に『タマとったるわいッ』と喧嘩を吹っかけられて噛みつかれた頃、僕はコロの「タマ」をどうするかで悩んでいた。
去勢しようかどうしようかという問題はなかなか結論が出なかった。

犬に関するいろんな本を読み漁ってみても、様々な意見があって決めかねていた。


いわく、「去勢なんか今時…云々…」
いわく、「犬のしつけのために…云々…」

人間の都合で決めてしまっていいものなのか、でも、結局、去勢なんて自然じゃないという考え方には

「飼い犬として飼われて暮らしている以上、すでに“自然”などの状態ではないのだ」

と結論づけて去勢することに決めた。

去勢についてはいろんな意見があるし、自分の意見を押し付けようという気はさらさらないけれど、僕が決めた理由としては、

@ 繁殖させる予定も計画もないのに、毎回いたずらに発情したメスの匂いを嗅がせ続けることは、コロにとって苦痛でしかない。(…かもしれない)

A 年をとってからの病気の予防。
(少しでも長生きしてほしいという切なる願い)

決して“やんちゃ”を直すために去勢するのではなかった。どの本にも書かれていたけれど、去勢しても大人しくなることはないし、コロの場合も実際に性格は少しも変わらなかった。

気持ちとしては2番目が一番強かったと思う。

そんなわけで、コロは手術をするために初めての外泊(入院)することになった。


さて、タマタマをとられてしまったコロは… 
                            

どうなってしまうんだー!

                   


去勢のための入院したコロは2日ほどで帰ってきた。

迎えにいって病院から出ると、コロはさっそく大量におしっこをした。
どのくらい我慢していたのだろう、おしっこがパンパンらしく、歩くながら垂れ流すコロをはじめてみた。
かわいそうに…緊張していたんだろうな…

さて、問題の箇所は大きなバンソウコウが貼られている。どうなっているのか詳しく点検したかったが、コロがバンソウコウを剥がさないようにするほうが大変だった。

エリザベスカラーの大きなもの(それ以上のサイズはない)をしても、コロはとても気になるらしく、何とか首を伸ばして股間に鼻面をうずめている。ちょっと目を離すと、絆創膏を舐めて取ってしまっていた。
仕方がないのでホームセンターで同じ素材のボードを買ってきてエリザベスカラーをひと回り大きく改造した。

巨大なパラボラアンテナをつけたコロは、少し悲しげで、それでいて何だかとても滑稽だった。

この後も手術後の患部は血がにじんでなかなか出血が止まらなかった。
股間に貼った絆創膏はどうしてもはがれやすくて、あっちにくっついたり、こっちに引っ付いたり、文字通り『またぐらこう薬』になっていた。

大きな絆創膏を買ってきたり、テーピングで貼り付けてみたり、悪戦苦闘してもそれはすぐにはがれてしまう。

その度に、コロのパンチやキックを受けながら股間に絆創膏を貼りなおしていた。

そんなこんなで退院後2、3日で、出血が止まらず、再入院をすることになってしまった。
血が止まってやっと帰ってきたのはそれからさらに1週間後だった。

今度は入院生活にも少し慣れたのか、病院から連れ出しても、この前のような大量におしっこをすることはなかった。

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2004年12月11日

第9話 コロ、かまれる、その2

第9話 コロ、かまれる、その2



もう一回流血して縫う負傷をおったことがある。

この時はコロはまったく悪くなくて、一方的な(理不尽な)被害者だった。


今度は僕が散歩をしていた時だ。


コロといっしょにいつもの公園の隅で遊んでいたら、公園の反対側(50m以上離れていた)から飼い主のリードを振り払った犬が、まっしぐらに僕たちのほうに突進してきた。

ものすごい勢いで気が狂ったように吠え掛かってくる犬は、

「うおぉぉぉーー、タマとったるわいッ!」

まるでヤクザの鉄砲玉のような感じだった。

そのまま、コロめがけて体当たりしていきなり噛み付いてきた。

コロは、「何だ?何だ?」という顔で善戦するも、首筋と肩を負傷…
やがて向こうの飼い主もやってきて、やっと2頭を引き離した。

後にも先にもこんなことは初めてだった。
お互いに匂いを嗅ぎあうという犬同士のルールもあったもんじゃない。

今でもたまに『その犬』が飼い主と散歩しているところを見かけるが、なるべく近づかないようにしている。


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2004年12月10日

第8話 コロ、かまれる

第8話 コロ、かまれる



仔犬の頃からウチのコロは相手が大きな犬だろうと、うなって怒っていようとお構いなしに、
「遊んでぇ!遊んで!」
と、犬を見かけるだびに飛びついていってしまう。

この能天気な性格は絶対に飼い主に似たのではない、と私は主張したい。(って……誰に?)


犬社会の基本的なルールを理解していない若造に、
「いっちょう、社会の仕組みちゅうもんを教えたるわいっ」
という犬がいつ現れても不思議ではないと思っていた。


コロが生後5ヶ月ぐらいの頃だったと思う。

夕方の散歩に家内が頃を連れ出しているときだった。平日だったので僕はおらず、
後からかみさんの報告を受けたのだけど…。

コロがいつものように自分の3倍はある大きなムク犬に飛びかかっていくと、いきなりその犬がコロの首筋に噛みついてそのまま押さえ込んでしまった。

ヒンャンヒャンとコロが鳴いても、その犬は大きな体でコロを上から押さえつけて放そうとしない。
コロは怖がってヒャンヒャンとないているばかりだ。

家内はバシバシッとそのムク犬をたたいて、やっと2頭を引き離したらしい。首筋から血を流しているコロをつれて病院へ…

結局、首周りを4針ほど縫った。

「あの犬の野郎ッー(怒怒怒…)メラメラメラー…」

と憤慨している家内から、夜遅くに帰宅した僕はその出来事を聞いた。

喧嘩している犬の中に割って入ると、人間のほうが噛まれることがよくある、ということは、家内の剣幕に恐れをなして黙っていた。

そんなことがあったので、コロの能天気な性格は少しは変わるかと思ったけれども、
翌日からそんなことは無かった事のように無邪気にふるまっている姿を見ると

「この犬は、よっぽどの大物なのかもしれない、それとも単なる馬鹿犬か…」

などと思ってしまった。

どうも後者だったみたいで・・・

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2004年12月08日

第7話 恐怖のやけど事件

第7話 恐怖のやけど事件

コロが走ると何かが起きる!



それはある夏の日のことだった。

いつものようにコロを連れて近くの公園に散歩に行く。
夏の陽射しがまぶしくて、半ズボンにTシャツでも汗をかくくらいだった。

公園の芝生に誰もいないのを確かめてから、コロの付けていたリードを20mのロープにつけかえた。

この20mのリードはコロに『マテ』や『コイ』を訓練するためにアウトドアショップでロープを買ってきて自作したものだ。
何回かマテ・コイの訓練をした後、いつものようにそのリードをつけたまま、ボールでコロと遊んでやった。

その頃、コロは1歳半ぐらいでもう体重は30キロを越えていた。

足腰の事を考えて、体がある程度出来上がる1歳を過ぎるまで走ることは控えるようにしていた。
でも、もうこの頃には自転車での引き運動をはじめて半年、痩せてほっそりしていたコロの体もみるみるうちに胸板が厚くたくましくなっていた。

力強くなってきた大型犬のコロが、ボールを追いかけて全力で走っていく姿はかなり迫力があった。

その日も何回かボールを投げてやると、そのたびに喜んで走っていく、
だんだんと夢中になってきて、そのうちに、僕は20mのリードが自分の足に絡んでいる事に気がつかずに、ボールを思いっきり投げてしまった。

「もってこーい!」
両耳をヒラヒラさせて、弾むように駆けていくコロ……

その時、半ズボンのむき出しになったフクラハギあたりで、シュルッ、シュルッ、シュルーとロープが引っ張られる音がしたかと思うと、両足に鋭い痛みが走った。

「わあぁぁああー、アツッ、熱ッー」

からんだロープがそのまま引っ張られて、両足のフクラハギをもの凄い勢いでこすっていく。
もんどりうって倒れた僕の両足は、ミミズ腫れのようになって火傷してしまった。
火ぶくれが出来て皮が剥けていた。

そのあまりの痛さにしばらく声が出なかった。
うずくまってうめいていると、ボールを咥えたコロが戻ってきて、

「えっ、どうしたの?、なんかあったの?」という顔をしてのぞきこんできた。

どうしたもこうしたもあるかい!

でも考えてみると、コロは少しも悪くない、一方的な僕の不注意だった。コロを怒る訳にもいかず、ただひたすら痛みを我慢していた。

家に帰ってよく見てみると、両足ともにフクラハギのあたりを20pほどずつ火傷をしていた。火ぶくれのところどころ皮が剥けて血がにじんでいる。
うーん、犬の散歩をしていて火傷をするとは…

それから1ヶ月くらいはお風呂に入っても湯船の中には入れなかった。シャワーも傷跡にお湯がかかると鋭くしみた。

20mリードは今も使っているけれども、それを使う時は細心の注意を払うようになった。

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2004年12月07日

第6話 仔犬だったコロ、夜の散歩

第6話 仔犬だったコロ、夜の散歩



散歩に喜んで出かけるようになったと思ったら、今度はその催促が日増しに厳しくなっていった。

散歩大好きの犬は多いが、ウチのコロはその二の腕に「さんぽ・命」と入れ墨をしているみたいに、散歩に出かけることに全身全霊、まさに命をかけているようなところがある。
リードを手にしてちょっと玄関に顔を出そうものなら、

「さんぽ?さんぽ?わぁーい、さんぽだぁ!さんぽだぁー!」

と、はしゃぎまわっている。

散歩の回数も、仔犬だからオシッコ我慢させるのはかわいそうだという世論(おもに家内の意見?)におされて、いつのまにか「朝」「夕方」「夜」の1日3回になっていった。勤めに出ているので僕には夕方の散歩はできない。早朝と夜の部を引き受けることになった。この夜の散歩(だいたい11時〜12時位)が辛かったぁー。

平日は会社から帰ってくるのが、その時刻だったので、帰宅すると風呂よりも遅い夕飯よりも、まず先にコロを連れ出して夜のオシッコをさせる。お腹は減ってるし疲れているけど、まあこれはしょうがないなぁーと思っていた。

ホントに辛かったのは、休日の夜の散歩だった。休みの日はたいがい夕飯の時から飲んでいる。11時ぐらいが酔っ払ってるピークなのに、コロがヒーヒー鳴いて散歩の催促をしてくる。

眠いのと酔っ払っているので、ほとんどコロに引きずられるようにして歩いていた。

この1日3回のスケジュールは、その後一年ほど続いただろうか。


いまではこの夜の散歩はコロに勘弁してもらってやっていない。もう大人になったコロはオシッコを我慢するのに慣れてしまったようだ。

だから、飲んで帰っても大丈夫だし、休日も酔っ払って“そのまま”寝られるシアワセを再びあじわっている。
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2004年12月06日

第5話 仔犬だったコロ、オシッコしない…

第5話 仔犬だったコロ、オシッコしない…



散歩に連れ出すようになっても、コロは決して外でオシッコやウンチをしようとはしなかった。慣れ親しんだトイレシートの上でしかしない。
散歩から帰ってくると大急ぎでゲージの中に飛び込んで、オシッコをする。

「あぁーよかったぁー、間にあったぁー」

というなさけない顔で長々とオシッコをしているコロの顔を見て、このままではこの犬は一生トイレシートを使っているのかもしれない、と思った。

そんなコロがやっと外で用を足すようになったのは、散歩に連れ出すようになってから3ヶ月ほどたった頃からだった。
近くの公園の中を歩いていると、モゾモゾとし出したかと思うと、繁みの中で初めてスワリションをしはじめた。

やったぁー、と僕は思わず叫んでしまった。それから初めて外でオシッコをしたコロをおもいっきりほめてやった。それ以来、当たり前のように外で大も小もするようになる。トイレシートもすぐに必要ではなくなった。

仔犬だったからオスなのにスワリションしかできなかったコロも1歳を過ぎる頃からイッチョ前に片足をあげてするようになった。
今では散歩に連れ出すと待ってましたとばかりに、まず最初に大量のオシッコをしている。それを見るたびに

「ごめんなぁー、我慢してたんだなぁー、えらいなぁー」

と思うが、休みの日など朝遅くまで寝ている飼い主は、散歩の時間が遅くなることよりも惰眠をむさぼる事を優先している。


ここはと思う繁みにはすべてオシッコしていこうとするコロ、散歩の終わりころにはもう弾切れになって出るものも出ていない。それでも、片足を高く上げようとするのを見て、

「もう打ち止め!」

と引っ張ってきてしまうこともしばしばだ。

今でも、たまにコロがはじめてオシッコをした公園に行く。


「ああ、ここで仔犬だったコロがはじめてオシッコをしたんだなぁ…」
あの時の繁みの辺りを通るたびに、そう思ったりしている。

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2004年12月05日

第4話 仔犬だったコロ、そとにでるようになると…

第4話 仔犬だったコロ、そとにでるようになると…


犬はどんな感じで喋っているのだろう。もちろん言語を喋る訳ではないのだけど…
この前読んだ本の中で、東海林さだおさんの飼い犬(体育会系の柴らしい)は

「自分は、やたら動き回るのであります!」

という口調で喋っている、というのがあった。

なるほど、わかるような気がする。そういう口調の犬っているよな。
仔犬の頃のコロは、

「あっ、いま目が合った!目が合った!あそんで!あそんで!」

といつも言っていたような気がする。

仔犬のコロはしばらく家の中で飼われていた。ゲージの中で小さな菓子箱の中で丸まって寝ていることが多かった。起き出すとキャンキャンと鳴く。

かまってもらいたくてしょうがないようだった。仔犬だから淋しいのだろうと思っていたが、これはコロの性格から来るもののようで、大きくなってもにぎやかなおっちょこちょいなのは変わらない。

4ヶ月ほどしてから、予防注射も済んでそろそろ散歩に連れて行こうとしても、なかなか外に出ようとはしなかった。玄関から先には恐くて行けないと思っているようだった。
それでもなんとか首輪をつけて散歩に連れ出しても、なかなか動こうとしない。頑固者らしく、踏ん張ってがんばっている。
そんな事を何日かくり返して、やっと恐がらずに外で歩けるようになったと思ったら、今度は好奇心のカタマリのようになって何にでも飛びついていくのに悩まされ続ける事になった。
まだ仔犬だから、といつもの散歩仲間の人たちも最初は暖かい目で見守ってくれていたが、3年もたちすっかり仔犬ではなくなった今でも一向に変わらない性格に
「…あいかわらず…元気…だねぇー」
と、あきれられている。



ラブラドール、盲導犬のイメージとは大違いだ。最近でこそ某TVの「まさお君」や「ゴン太」のおかげて改善されつつあるが、ラブラドールのイメージはまだまだ、大人しい、おりこうという感じがつきまとっている。
とんでもない!
盲導犬なんて100頭に1頭できるかどうかのイヌなのだ。すべてのイヌが盲導犬になれるわけじゃない。
またなれなくても、それはそれでいいのだ。確かに盲導犬や災害救助犬、介助犬たちは立派な仕事をしているし、すばらしい犬たちだけれど、すべての犬がそうなる必要はない。
犬として幸せに生きていく、ただそれだけで、りっぱに飼い主の心の友として過しているのだから・・・
とにかく、ヤンチャなコロ、たぶんこの性格は一生直りそうもない…。




右に電信柱があれば飛んでいって臭いをかぎ、

左に散歩途中のイヌがいれば、
飛びついていってアウアウッ遊ぼうと云う。

一日にフード3合を食い、

欲張りで、決して無駄吠えをやめようとせず、
いつも、ヘラヘラ笑っている、

そういう犬に、私はなりたい。

                     (BYコロ)
posted by ころすけポー at 15:46| Comment(0) | TrackBack(0) | コロとの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月03日

第3話 犬を飼う、ラブのコロ登場(当代)

第3話 犬を飼う、ラブのコロ登場(当代)


アパートから戸建てに引っ越して、まず第一に考えたのがこれで犬が飼えるということだった。
思えば小学生の頃雑種のコロと生き別れになって以来、僕は犬を飼っていない。
長年連れそっている猫はいるけれども…
ああ、これでやっと『犬のいる暮らし』ができると思っていると、そこに思わぬ抵抗勢力が現れた。
里親を探している会社の知人から生まれたばかりの仔犬の写真をかりてきた。
飼おうか?と相談すると。
ウチの愚妻豚妻『山の神』が、
「ポー(黒猫)がいるんだから、それでせいいっぱいよ!」
かわいらしい仔犬の写真を見ても心を動かされないなんて、とても人間わざとは思われない。
僕はガーンと言ってやった。
「うるさーい! 一家の主(あるじ)は俺だ! 文句があるならとっとと出て行けー! パンパンパンッ(頬をはりたおす音)」
と…心の中で…思いっきり叫んだのですが…その言葉は何故だか声にはならずに、口から出たのは、
「でもさあ…こんなにかわいいんだし…犬の世話は僕が全部めんどうみるから…飼ってもいいかなぁ…」
「ダメッ!」
「……………」
そういうやり取りが何度かあって、犬を飼うのをあきらめざる状態が続いていた。このままでは犬が飼いたくても飼えなかった小学生の頃と同じではないか。
そこへ思わぬ援軍が登場する。
我が家の隣に住む義母が犬を飼ってみようかと言い出したのだ。義母は夫に先立たれてから一人暮らしをしている…といっても、実の娘夫婦が同じ敷地内の隣の家に住んでいるんだからさほど問題があるわけではないのだが、犬、猫、ハムスター等の生きものが全くダメな人だったので、この発言は意外だった。
生きものに恐くてさわれない…ただこれは後に単に生きものに慣れていないだけだったことは判明する。今では大型犬のコロを猫かわいがりしているくらいだ。


そんな義母が『用心のため』という理由で犬を飼いたいと言い出した。
この提案に僕の方はもちろん異存があるはずがない。
「飼いましょう」

と二つ返事で答えると、みんなの気が変わらないうちにと、その翌日からブリーダーやペットショップに電話をかけまくって犬を探した。その週末にはみんなで仔犬を見に行って、ラブの仔犬を予約してしまった。

防犯のためなら、のんきな大型犬よりもよく吠える小型犬の方が適しているという知識はあったが、僕が大型犬が飼いたかったから、そんな事はおくびにも出さずに、

「やっぱ、大きい犬のほうが泥棒よけになるから…」といいかげんな事を言ってラブラドールレトリバーにした。

電光石火の早わざでトントンと決めてしまったが、今思うとそれがよかったのだ。

生後40日のオスラブが我が家にやってきて、2週間ほどした後に、家内の妊娠が発覚した。この妊娠発覚がもう少し早かったら、犬を飼う話はおじゃんになっていたかもしれない。危ういところだった。

きわどいタイミングで飼う事になった犬には、僕が小学生の頃一度だけ飼った犬の名前を付けた。3kgしかなかったコロコロとした仔犬が日に日に大きくなっていくとともに、家内のお腹もだんだんと大きくなっていく。
ヤンチャな仔犬の騒動と初めての妊娠騒動がいっしょにやってきて、あの年のてんやわんやの一年が始まろうとしていた。
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2004年12月02日

第2話 犬を飼う、初代コロ

小学4年生の時、それまで庭を掘り返したり悪戯をするからと犬を嫌っていた父親がどういう気まぐれか、犬を飼うことを許してくれた。

うれしかった、嬉しくて嬉しくて生まれた仔犬を貰う事になっていた家に行っては、母犬の大きなお腹を眺めていた。
コリー犬の雑種というその母犬は近所に住む同級生の女の子の家で飼われていた。茶色い毛並みがフサフサとしていて、とても綺麗な雌犬だった。
やがて仔犬が産まれた。雑種らしくいろんな毛並みの仔犬たちがいた。


目も開かない仔犬たちがうごめいている姿はいつまでも見ていて飽きない光景だった。
やがてヨチヨチ歩きが出来るようになって、僕は茶色のブチが両目の回りに入った子犬を選んだ。その犬が一番元気がよさそうでかわいらしく思えたからだ。
1ヶ月ほどして貰ってきた仔犬はまるでぬいぐるみのようにコロコロと太っていた。父や母も気に入ったようだった。
僕はこの仔犬に「コロ」と名づけた。
コロは母親から離されて寂しいのか玄関に置いたダンボールの中でヒャンヒャンと夜中じゅう鳴いていた。
犬が自分の家の中にいる、ということが嬉しくて夜中に何度も様子を見にいく。その度に
コロの鳴き声が大きくなった。
何日かするとコロもあきらめたのか、夜鳴きはおさまって一人でダンボールの中で丸まって寝るようになった。覗いてみると時々フンフンと寝言を言っているようなしぐさとしたり、寝返りを打ったりしている。
僕は寝ているコロを抱いて自分のフトンに連れて行った。フトンの中にコロと一緒にもぐりこんで、夜店で買った小さな懐中電灯をつける。そうしていると何だか二人で秘密基地いるみたいにワクワクした気分になった。
やがてコロも大きくなって散歩に連れて出せるようになると、毎日の散歩はまるで夢のように楽しかった。朝早く起きるのも学校から帰ってくるのもすごく楽しみになった。
雨の日も雪の日も毎日散歩に連れて行った。コロは降り積もった雪が好きで雪の中に放すとはしゃぎ回って遊んでいた。雪の中にもぐったり泳ぐように進む姿は見ていてとても楽しかった。
そのコロが、ある日急にいなくなった。

飼い始めて1年ほどたった日のことだ。学校から帰ると庭にコロの姿がなかった。首輪抜けをしたらしく、がらんとした犬小屋にコロのつけていた赤い首輪だけが落ちていた。
その日は自転車に乗って夜中まで探して回った。心配した母親が僕を探し来るまで、泣きながら町中を探して回っていた。
その次の日も次の日も何日も探し回ったけれども、ついにコロは見つからなかった。
その時の喪失感を何に例えたらいいのだろう。
今、思い出しても胸が痛む。
それから何年も、街でコロに似た犬に出会う度に、はっとして胸が高鳴った。
ドキドキした気持ちがなかなか治まらずに、毎回「コロはどこへ行ってしまったのだろう」と考えていた。
愛想のいい犬だったから、誰かに拾われて飼われていたのかもしれない。
今でも目をつぶると、仔犬だったコロの姿が目に浮かぶ。
両目の回りに茶色いブチの入った顔で、小学生だった僕の後をついて回っている。
食事中に手を出した時のうなり声。
僕がオナラをすると後ろに回って「ナンダ?ナンダ?」という顔でクンクンと鼻を鳴らしていたコロ。
今思い出すと、ひょっとしてあの日コロは死んでしまったのじゃないかと思う。
その死を僕に隠すために両親や兄が僕に嘘をついていたのではないか…と。
そう考えるとあの時の記憶がひどく不確かなもののように思えてきた。
今でも何故だか田舎の母には聞けないでいる。多分これからも聞けないかもしれないが、ふと、そんな気がした。
posted by ころすけポー at 12:34| Comment(0) | TrackBack(0) | コロとの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月01日

第1話 犬を飼う?

「人と犬との縁というものも、考えてみると実にふしぎなもので、ある意味では人間どうしの出会い以上にふしぎかもしれない。犬なんてみな同じようなものだと、前は思っていたが、後になってみればその犬以外の犬ではだめだという、かけ替えのない犬になっているのだから。」  
『ハラスのいた日々』中野孝次



子どものころの一番最初の犬の記憶は絵本の中の犬だ。
『101匹わんちゃん大行進』ウォルト・ディズニーの映画を幼児向けに書かれた絵本が好きだった。

多分幼稚園に入る前のことだったと思う。
その絵本の中に出てくるダルメシアンの仔犬たちがかわいくて、毎晩絵本を枕もとにおいて寝ていた。
たくさんの犬たちが出てくるその絵本を眺めながら、僕はどうしたら、自分が犬になれるだろうと考えていた。仔犬になって仲間たちとジャレあっていたら楽しいだろうなぁ、といつも想像していた。
あの頃、僕は犬になりたい、と本気で思っていたのかもしれない。
その頃我が家には犬はおらず、生き物なら何でも大好きだった僕は、犬が飼いたくてたまらなかった。でも、転勤が多かった父親は絶対に犬を飼う事を許してくれなかったので、僕は近所の犬をかまう事で何とか自分の気持ちをなだめていた。
犬を飼いたい自分だけの犬を飼ってみたい。という気持ちは日に日に強くなっていって、とうとう、空想の世界で犬を飼うようになっていた。
目をつぶると、僕の周りにいつもまとわりついてくる小さな子犬がいる。おいでというとすぐに飛んでやってきて、僕の顔をペロペロとなめる。
いろんなところでその犬と遊んだ。
押入れの中でかくれんぼをしたり、近所の空き地で虫を一緒になって追いかけたり・・・いつも僕が一人になったときにはその空想の犬がやってきて、僕のそばで飛んだり跳ねたりしている。その犬はたいがいあの絵本の中のダルメシアンの仔犬だった。
(後年、フィリッバ・ピアス著『まぼろしの小さな犬』を読んだときには、正直びっくりした。幼い頃の自分と同じように、犬を飼いたくてしょうがない孤独な少年が心の中で一匹の犬を飼って、その犬とのふれあいを心の支えにして成長していく、そんなお話だ。)
今、大きな犬を飼っていて、毎朝眠いのをこらえて散歩している。休みの日には公園の芝生の上で犬と一緒になってころげまわって遊んでいる。
その事を、空想の犬と一緒に遊んでいたあの頃の自分に教えてあげたい気がする。
あの頃の自分が、今の幸せな犬との生活のことを知ったら、どんな気がしたのだろう。

posted by ころすけポー at 12:30| Comment(0) | TrackBack(0) | コロとの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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