2005年03月29日

フリスビードッグ

フリスビードッグ


著者: ピーター ブルーム, Peter Bloeme
タイトル: フリスビードッグ―ベーシックスキルから競技会まで

TVで著者がフリスビーを投げるのを見た。80メートルぐらいフリスビーを飛ばしてイヌがそれを追いかける。フリスビードッグもすごいけれど、投げる方もすごかった。普通そんなに遠くまで飛ばないよ。

コロを飼いはじめた頃、一時フリスビードッグをめざして、公園で毎日フリスビーの練習をしていたことがあった。
最初の何回かは、コロもカッコよくフリスビーを追いかけてジャンプキャッチを決めたりするのだが、それもよくて34回までで、飽きっぽいコロはフリスビーよりも近くの茂みの臭いの方が気になるようだった。

フリスビーを取ってきても、それを噛み砕いて破壊するのを自分の義務のように思っていたのだろう。1000円ぐらいする公式フリスビーを数分で使い物にならないようにしてしまうのだった。

コロのために何個このフリスビーを買っただろう。

もしフリスビーを短時間で噛み砕く速さを競うフリスビー大会があったら、コロはいい線までいくと思う。

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2005年03月28日

ウォッチャーズ

ウォッチャーズ(上)


著者: ディーン・R. クーンツ, Dean R. Koontz, 松本 剛史
タイトル: ウォッチャーズ〈上〉

ウォッチャーズ(下)


著者: Dean R. Koontz, ディーン・R. クーンツ, 松本 剛史
タイトル: ウォッチャーズ〈下〉


(キーボードを打つ犬なんか「ドン松五郎」の方が先ジャンなんていうツッコミはしてはいけません。)

Gレトリバーの「アインシュタイン」が特異な理由があるのですが、賢くて可愛くて…

ウチの犬とえらい違いだ。

恐い話だけど、基本的に作者の生き物に対する愛情に裏打ちされているので悲惨な感じはせずに読めた。(アウトサイダーという怪物に対しても)

ウォッチャーズとは「見守る者」という意味だ。

愛するひとを見守る…まもる…

そして複数形なのは見守られているひとも、守られているだけの、か弱い存在ではなくて、自分のまた相手を守る(見守る)ことが大事なのだ、と作者は言う。

この小説に出てくる女性も最初は全くの世間知らずの(複雑な理由による…)か弱いだけの存在だが、その彼女がやがて逆に愛するものたちを守るようになる。

お互いに相手の「見守る者」になる関係はすばらしいことだと思う。


  
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2005年03月26日

第29話 コロとカミサンの散歩

コロの散歩は基本的に僕が行くことになっている。僕がいないときには、近所に住む叔父さんや義母に朝晩の散歩をしてもらっている。

先日、久しぶりに朝、カミサンがコロを連れて行ったときのことだ。
戻ってきてから「足が痛い」という。どうしたのか尋ねると、コロが散歩の間中ずっとカミサンを引っ張って、いうことを聞かなかったらしい。
それについていくためにずっと走ってきたというのだ。

ちょっと走ったぐらいで大袈裟な…

「インターハイ選手が…衰えたものだ…」

ちょうど息子のケイタが見たがったものだから、カミサンが高校時代にバレーボールで貰ったトロフィーや賞状が押入れから出して飾ってあった。

「賞状が泣くぞ」

「だって、オシッコがしたいらしくて、ずっと引っ張っていくんだもの…」

「そういうときは、コロのいきたいようにはさせちゃだめだ。こっちが主導権をとって…コロが引っ張り出したら反対方向に歩くとかして…」

と説明しようとしたがやめておいた。、

コロはカミサンの言うことはまずきかない。コロは家族の序列の中でカミサンのことを自分より下の位置にいるヤツと思っているのだろう。
あまり接触のないカミサンは家族の中でも自分より目下の存在なのだ。

カミサンとコロで散歩に出かけるとなると、リーダーは地位の高いコロにならざるを得ない。

リーダーは部下を率いて先頭をきってすすむ。道に迷ったら判断を下すものリーダーの大事な勤めだ。
だから、当然、愚かで弱い部下を引っ張ってやらなくてはならないし、こっちへいくんだと親切にも教えてやらなくてはならない。

カミサンを引っ張って言うことをきかなかったといわれても、コロとしては、リーダーとして当たり前なことをやっていただけなのだ。


「えらいぞ、コロ」と僕はひそかに思った。




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2005年03月23日

ハラスのいた日々



著者: 中野 孝次
タイトル: ハラスのいた日々

僕が小学生のとき飼っていた犬がいなくなったことがあった。
この本でもハラスがスキー場で行方不明になっってしまう話が載っている。そのときの記憶がをまざまざと思い出されて胸がつまった。

印象に残っているのは、石榴(ざくろ)の木の話だ。ハラスが死んだとき、庭のスミに埋めてやるのだが、何年か後その傍らの石榴の木がたくさんの実をつけた。毎年この木は2、3個しか実をつけないのに、その年に限って枝もたわわに実をつけたという。
おそらく地下で石榴の木がハラスノ埋めてあるところまで根を伸ばして、その養分を吸い取ってそんなに実を実らせたのだろう。
「そういう復活を好ましく思う」という筆者の記述は、薄っぺらなペットブームや飼い主の身勝手な愛情の押し付けとはかけ離れた、生き物への真摯な姿勢のように思う。
posted by ころすけポー at 20:44| Comment(2) | TrackBack(0) | イヌの本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月22日

犬語の話し方



著者: スタンレー コレン, Stanley Coren, 木村 博江
タイトル: 犬語の話し方
  

犬は驚くほど人間の言葉を理解しているらしい。だが人間のほうは犬の言葉を理解できない。
ポーラーというシベリアンハスキーの話が面白かった。
イタズラざかりのこの犬は飼い主から「ノー」とばかり言われている。
車から勢いよく飛びだしたり、人に飛びついたり、ベットの中にもぐりこもうとする…
そのたびにポーラーは「ノー」と怒られている。
「ノー、ポーラー、飛び出すな!」「ノー、ポーラー、止まれ!」
飼い主が筆者に
「どうも犬が言うことを聞かない…ポーラーは自分の名前もわかっていないと思える」
とこぼすと、
「ポーラーは自分の名前が分かっているさ」と筆者は言う。
「でも、君には分かってないかもしれないね」

その後、筆者の指示通りに飼い主が台所で「ノー」と叫ぶと、テラスにいたポーラーはすくっと立ち上がってトットットと飼い主の方に向かった。

これまで自分に向かって言われた言葉の中で一番多かった「ノー」という言葉がポーラーの頭の中では自分の名前になっていたのだ。

  
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2005年03月21日

犬を飼う



著者: 谷口 ジロー
タイトル: 犬を飼う


老犬になって死んでいく犬。
この本を読んで、僕は2匹の犬を思い出した。

1匹は、昔下宿先の大家さんが飼っていた老犬。老犬だからなのか、すごく犬臭い犬だった。 老夫婦に飼われていたその犬は、その飼い主以上に年老いて見えた。
よたよたと散歩する姿が、可哀想だった。ほんの少しずつ、短く一歩一歩引きずるように歩いていた。

思わずがんばれよ、って声をかけたくなるような・・・。

やがて、歩く事も出来なくなって、お爺さんに抱えられるようにして、おしっこをするために外に出されていた。
きれい好きで、最後まで寝たきりの布団の上ではしなかったらしい。

その犬が死んで、犬臭い犬小屋だけが残った。



もう一匹は、神田小川町の額縁屋さんの店先にいた『エス』という犬。
「さわるのきらい!」と書かれた箱の中で、いつも日向ぼっこをしていた。20年ぐらいは生きていたらしい。
会社のそばだったので、毎朝顔をあわせていた。

ある日、ふっといなくなって・・・
翌日、店先に元気な頃のエスの写真が飾られていた。写真の中の『エス』はまぶしそうに表を見ている。

「色々ありがとうございました」

その横にお店のご主人の言葉が添えてあった。



posted by ころすけポー at 10:32| Comment(0) | TrackBack(0) | イヌの本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月20日

犬たちの伝説

犬たちの伝説


著者: 内田 康夫, 早坂 真紀
タイトル: 犬たちの伝説


ボクは、CW.ニコルさんの「プリンス」って話が好きだ。

ニコル少年が初めて飼った犬が、病気になって死んでしまう。
その犬(プリンス)のことを本当に大事に思っている少年は、犬は天国にいけないと言う牧師(キリスト教では魂を持たない犬や猫、異教徒には天国がない)
に悪態をついてほおを殴られる。

「神様もイエスも・・・大嫌いだ」

泣きながら庭の隅に深い穴を掘って、犬のなきがらを埋める少年。

でも筆者は、いう。

「おとなになった今でも、胸がきゅんと痛くなる。あの思い出の痛み。
もし本当に天国があるとしたら、そこには人間だけではなく、ありとあらゆる生き物がいて、みんなをわくわくさせていることだろう。
きっと、プリンスという名前のかわいい黒犬も、茶色の目を輝かせ、長い尻尾を振って、待っているにちがいない。・・・・

おいで、プリンス! いい子だ! おいで、プリンス!・・・・」


  
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2005年03月19日

人イヌにあう



著者: コンラート・ローレンツ, 小原 秀雄
タイトル: 人イヌにあう


ローレンツの動物行動学の学説はその大部分が後の研求で否定されている。たとえば有名な攻撃性への考察(負けを認めたイヌが相手に首筋を差し出すと、かもうとしているイヌは抑止が効いてそれ以上攻撃できなくなるという説など…)

でも、彼のこの分野へもたらした功績は大きいし、その著作も価値があると僕は思う。

それにしても、この人イヌに会うと言う本は楽しい本だ。


この本の中の塀に隔てられた2匹のイヌの話が好きだ。
ローレンツによると塀や囲いというのは空間的な縄張りが広がる役目を果たしているという。塀をはさむことで、イヌは自分の縄張りを確保することになり安心しているらしい。


ローレンツが毎日散歩に連れて行くイヌがある家にくると決まって、そこのうちのイヌと塀越しに猛烈に吠えあう。2匹は塀をはさんで今にも飛びかかって相手に噛みつかんばかり勢いでほえあいながら、塀沿いに行ったりきたりしていた。

ある日その塀の一部が改修工事のためか取り壊されていた。

それに気づかないまま2匹は塀をはさんでほえあいながら走っているうちに、その塀なくなっているところまできてしまった。
これまで塀があったおかげで2頭はかろうじて取っ組み合いのけんかを免れていたのだ。
それが今なくなっている。相手に飛び掛るにはすぐにそれが出来る状態だ。

けんかが始まる、とローレンツが思ったその時のこの2頭のしぐさが面白い。

しばらくきょとんと相手を見詰め合っていたが、2頭とも申し合わせたように塀のところまで引き返すと、その塀越しに猛烈に吠えあった。

これまでは塀があったおかげで安心して吠えあって喧嘩していたらしい。


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2005年03月11日

僕たちはこんなところに行ってきた。(その2)

渡良瀬川にコロと行く   



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渡良瀬川というと森高千里の歌のイメージがまず浮かぶ。それ以前だと足尾銅山の鉱毒事件か、
でも今の渡良瀬川は穏やかなヤマメの多くいる川なので、関東北部の格好のフライフィッシングのメッカになっているのだ。


その渡良瀬川にコロを連れて行ったのは春先のことだ。

この日は寒くて普段平日でもフライフィッシャーが数人いるポイントには誰もいなかった。
リードを離すところはうれしそうに川に入ったり、あたりを駆け回って遊んでいた。
でも、臆病者なので僕の見えないところまでは決していかない。呼ぶとすぐに傍らにやってくる。普段よりも聞き分けがいい。なんていい犬なんだとこのときばかりは思う。

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見ていると自分で大岩をよけて遠回りしたり、考えて行動しているのがわかる。
だがこの臆病者は流れの速いところや深いところは怖いらしくしり込みをしてしまうのだ。

僕が対岸に渡ってしまうと、自分は怖くてわたれないので向こう岸でひゅんひゅんと泣いている。
そのままかまわずどんどんと僕が先に行くと、対岸を一生懸命に追ってきた。そして浅そうなとこをを自分で探して何とか渡ってくるのだ。

自分で考えて行動している犬を見るのは楽しい。



魚は連れなかったけど、こんな楽しそうなコロをみて僕も少し満足だった。




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(平成15年3月)
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2005年03月08日

僕たちはこんなところに行ってきた。(その1)

道志川渓谷のキャンプ場にて

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山奥のキャンプ場に着くと、誰もいなかった。
さすが平日に代休を取って来ただけの事はある。

混んでるキャンプ場なんて最低だものなァ。何で自然の中にまで来て、区画されて狭い長屋のようなキャンプを張らなければいけないのか。某有名どころのキャンプ場に行く人々の気が知れない。

道志川沿いは首都圏からも近いのでたくさんのオートキャンプ場があるけれども、僕たちが行ったのはその中でも最も広いキャンプ場だった。その一山のどのくらい奥までキャンプ場なのかよくわからないくらい広いそうだ。

しかし、だれもいない。うしししっしし・・・
管理棟に行っても管理人すらいない・・・全くに無人だった。

習慣でコロを近くの木に繋いで、テントの設営をはじめようとして、ふと気がついた。

「そうかぁー、誰もいないんだから、コロを自由に放しても問題ないや」

リードを外してやると、コロは一目散に山の中に駆け込んでいって、野生動物を追いまわしていた。しばらくすると、血みどろの野うさぎを咥えて戻ってきた・・・

と、いうようなことは全く無くて、コロは放されてもテントの周りや僕の回りでウロウロしているだけだった。

ぺグを打ったり、ロープを張ったりしている僕の回りを興味深そうにあっちに行ったりこっちに行ったりして一人で遊んでいる。全然、遠くに行こうとはしなかった。たまにいなくなったかと思うと、木立の向こうからこちらの様子をうかがっている。
ちょっとでも僕の姿が見えなくなると不安らしくて、水をくみに行く時もトイレに行く時もあとからついてきた。



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ただ、コロは、テントサイトのそこらに無造作に置いてあるいろんなものを咥えて持っていってしまう。

ペグや木槌、ランタンケースやヘッドランプは、コロにとって格好のおもちゃになっていた。何でも持っていっては離れてカジカジしている。
なかなか返してくれない。
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やっとコロを捕まえて取り返した頃には、それらはコロのヨダレと噛み砕かれてぼろぼろになってしまっていた。
まあそんなに高いものじゃないからいいけど・・・ひょっとしたらテントやターフまで壊されてしまうかと思った。

小雨が降ったりやんだりしていたので、とりあえずテントとスクリーンターフだけは早く設営してしまいたかった。それさえできてしまえば、多少雨が降ろうが風が吹こうがお構いなしにその中で煮炊きができる。
幸いに、もう雨はあがって来た様子だった。

夕方コロと散歩に出かけた。もちろんノーリードで・・・コロは僕の横を付かず離れずについてきた。街中で散歩をするよりも数倍はよく言うことを聞く。コロも初めてのところで不安だったのだろうか。
ちょっと離れても、軽く呼ぶとすぐに飛んできた。何て賢いヤツなんだ。

誰もいない河沿いをコロと二人で歩いていると、都会の喧騒やワールドカップのお祭り騒ぎがまるで別世界の出来事のような気がした。

コロは初めてのキャンプに疲れたのか、テントに入ると夜の7時にはもう眠ってしまった。

コロと二人だけで同じところで寝るのは初めての体験だった。
僕はしばらく一人で酒を飲んでから寝たのだけど、コロが夜中におきだして何回も起こされた。

koro01.jpg

夜中の12時、1時、2時、3時と約1時間おきにコロは目が覚めるらしく、そのたびにヒマなものだから、人の顔を嘗め回して起こそうとする。
最初はトイレにでも行きたいのかとテントを開けて外に出してやった。でも、オシッコではないらしく、そのままテントの中に戻ってきてしまう。

遊んでもらいたかったのかもしれないが、1時間おきに起こされる方はたまったもんじゃない。
最後は朝の4時に起こされた。しょうがないからそのまま起きてしまって、また釣に出かけた。
(平成14年6月某日)


おしまい!


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2005年03月05日

犬の放し飼い禁止の立て看板


いつもコロや幼稚園児の子どもと散歩に行く公園の一番広い芝生の上に見慣れない看板が立っていた。4本の鉄筋の支柱で立てられた看板には『犬の放し飼い禁止』の赤い文字が書かれている。
よりによって広い芝生の真ん中にこの看板は立てられていたのだ。

これはいったい何なのだろう。と僕は一瞬考えてしまった。この公園で犬を放して遊ばせるのは前から禁止されているし、そのことは公園の入り口にも張り出されている。何もいまさら、子どもが走り回って遊んでいる芝生の真ん中にこんな邪魔な(危険な)鉄筋の支柱まで立てる必要がどこにあるというのだろう。

「危ないではないか」と市役所に抗議したら、犬の放し飼いに対する苦情が多いのでしょうがないのだという。
たしかにこの公園では夕方の散歩の時間などに犬を連れた人がリードを離して遊ばせていることが多いので、それに対して他の住人から苦情が寄せられているという話は前から聞いていた。

だが市役所の公園管理課の話を聞いていて僕はうんざりしてしまった。
結局のところ彼らには犬の放し飼いなどどうでもよくて、苦情を市役所にいってくる人たちに対する言い訳のためにこんな看板を立てたようなのだ。
市役所はこれだけの事をしていますよという言い訳のためだけにこの看板を立てたらしい。

お役所仕事なのだ。
そんなことのためだけに、公園で自由に走り回って遊んでいる子どもが犠牲になると考えると、公園課の担当の話を電話で聞いていてとても疲れた。

さらに、たかが犬が公園で遊んでいるだけのことに関して、それだけ苦情をいってくる人たちがいることに対しても、気がめいった。

犬を公共の場所で放すこと(ノーリードで遊ばせること)については、僕は放される『犬』によると考えている。しつけのできた大型犬やチビ犬が遊んでいる分には誰にも迷惑はかけまいと思うのだ。
攻撃性を持った犬やしつけのなってない犬は放すべくではないが、しつけのしっかりとできた犬などは自由に放してもいいではないか。

(残念ながら僕のうちのコロはこの範疇にはいっていないので僕はいつもリードにつないでいるけれど)

そう、個々の犬にもよるのだと思う。それを画一的に全て禁止としてしまう社会というのは犬にとっても人間にとっても住みよい社会とはいえない。

問題は『たかが』犬のことなのだから、もっとゆとりを持った対応ができないものかと思う。

犬嫌いの人もいるのだから、という反対意見が返ってきそうだが、そういう人たちにも僕はこう言いたい。

全ての人が犬好きになる必要はないし、犬が近寄ってくるのが嫌だという人がいてもいい。
そういう人は犬を追っ払えばいいではないか。子どもにも犬の接し方(追い払い方)を教えるといい。そうすれば必要以上に怖がることもないし恐れることもない。
相手は何万年も前から人類の側で暮らしてきた種族なのだから…。


ナイフが危険だからといって子どもから取り上げる社会よりも、ナイフが危険だからこそ、ナイフの使い方や取り扱い方を教える社会の方がより大人の社会だと思うのだ。
posted by ころすけポー at 00:06| Comment(7) | TrackBack(0) | 飼い主のマナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月02日

犬のフン公害について


毎朝犬を散歩に連れて行く途中、歩道の真ん中に犬のウンチが 放置されている。
大型犬のそれらしくこんもりと、いかにも、
「たった今ここでヒリ捨てゴメンしました」
というウンチが湯気を立てていたりするのだ。

この馬鹿飼い主のはどんなやつのなのだろう、と僕は思う。

毎朝、朝っぱらから腹立たしい思いさせてくれる、この大型犬(らしい)を連れている飼い主とは一度も顔をあわせたことがない。
もしこの飼い主に出合ったら、そいつの犬がしたこのウンチを、飼い主の顔めがけて投げつけてやりたい、といつも思っている。

その時の啖呵として
「このヤロウゥー、くそくらえー」とでも言ってやるつもりだ。文字通りの「糞くらえ」だが温厚な僕も怒るときは怒る。

だけど、僕が怒ってその飼い主をとっちめてもあまり意味がないのだ。こういう公衆道徳のないやつは僕の見ていないところで同じことを繰り返すだろう。


僕の行く公園には「犬の糞は飼い主が持ち帰りましょう」という看板があちこちに掲げてある。全国どこの市町村も同じようなものだろうと思うけど、この看板は市役所で無料で配布しているので自分の家の塀に掲げている家も多い。

この手の標語は何とかならないものかと思う。当たり前のことを当たり前に言っても、誰の心にも響かない。
この手の公衆道徳を促すためには、こんな教科書のようなきれいごとの標語ではあまり効果が望めないだろう。こんなものをつくっておけばいいーと考えているようなお役所仕事にもいい加減にしろよなと思うのだ。


「正しいこと」を言う時には気をつけなければいけない。この場合は自分の犬のしたウンチは自分で持ち帰ろうというだけのことだが、もし議論をすれば絶対に正しいと思っている方(僕の方)が勝つだろう。
でも議論で勝ってもあまり意味がない。つまらない恨みを買うだけのような気がする。
ことはゴミは道に捨てないというだけの公衆道徳に過ぎないのだから、ひとりでも不心得者が減るほうが望ましいのだ。

ではどうすればいいのだろう。

これは人間のトイレの例だけど、先日コンビニのトイレで、
「いつもきれいに使って頂いてありがとうございます」
という張り紙を見た。
これなど公衆トイレにありがちな上から見下すような標語、
『トイレをきれいに!』や
『みんなのトイレだからきれいに使いやがれこのヤロウ』
というような意味合いの標語よりもよほど優れていると思ったものだ。
(要はきれいに使ってもらえばいいのだから…)

またちょっと意味合いは違うけれど、どこかの作家がパリのトイレの張り紙を紹介していた。公衆トイレの男子用の目の高さのところにこう貼ってあったという。

『もう一歩前へ!。あなたの○○○は、あなたが思っているほど長くない』

なるほど文化の国フランスだな、と思った標語だ。

そういうわけで、犬の糞を放置している無知なヤカラにはどう接したらいいのだろう。
機知にとんだセリフはないものかと考えている。

今、前述の大型犬の飼い主に出合ったら僕はこういってやるつもりだ。

まず飼い主に犬のことをほめる。飼い犬をほめられて嫌がる飼い主はまずいないだろう。
立派な犬だ、かわいい顔をしている等さんざん犬をほめた後に、その犬に向かって、

「かわいそうに、こんなに立派な犬なのに(ウンチを放置しているので)町中の嫌われ者になっているなんて…ほんとうにかわいそうだ」



公園に掲げている標語も

『あなたのカワイイ愛犬を町中の嫌われ者にしないためにも、犬の糞は飼い主が持ち帰りましょう』

とすればいいと思うのだ。
posted by ころすけポー at 10:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 飼い主のマナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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