2006年09月15日

第43話 散歩の途中で

散歩の途中で



コロの散歩途中で他の犬に出会うことがよくある。

それまでおとなしく僕の左隣をヒタヒタと歩いていたコロの背中がふわっと逆立つ様子を見て、僕は「やれやれ、またか」と思う。

朝夕の散歩はどこの犬も同じように散歩をしている時間帯なのでどうしても多くの犬とすれ違うことになるのだ。
ほとんどの犬とはトラブルもなく軽く臭いをかぎあう友好的な挨拶をして分かれるのだが、どいうわけか特定の犬(数頭)に対しては異常に敵愾心を燃やしているようで、そんな犬とすれ違う時にはたいへんだ。
はるか彼方にその犬の存在を確認した時から、コロは早くも背中の毛を逆立てて戦闘準備に入っている。
そんな時には、たいがい向こうの犬も同じようにやる気満々の素振りで「やったるわいっ!」と全身で主張しているのだ。


相手の飼い主もリードを短く握りなおして身構えながら通り過ぎる準備をしている。

そんな時、僕はいつも坂本竜馬のことを思い出すのだ。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」にこんな話がある。

竜馬は京(京都)のせまい街路で新選組と出くわした。
竜馬は、新選組巡察隊の先鋒と、あと5・6間とまできて、ひょいと首を左へねじむけた。
そこに、子猫がいる。まだ生後三月ぐらいらしい。
軒下の日だまりに背をまるめて、ねむっているのである。
竜馬は、隊の前をゆうゆうと横切ってその子猫を抱きあげたのである。
一瞬、新選組の面々に怒気が走ったが、当の大男の浪人は、顔の前まで子猫をだきあげ、「ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ」とねずみ鳴きして猫をからかいながら、なんと隊の中央を横切りはじめた。
みな、気を呑まれた。ぼう然としているまに、
竜馬は子猫を頬ずりしながら、悠々と通りぬけてしまった。

竜馬は言う。

「ああいう場合によくないのは、気と気でぶつかることだ。闘(や)る・闘(や)る、と双方同じ気を発すれば気がついたときには斬りあっているさ」

「では、逃げればどうなんです」

「同じことだ、闘る・逃げる、と積極、消極の差こそあれ、おなじ気だ。この場合はむこうがむしょうやたらと追ってくる。人間の動き、働き、の八割までは、そういう気の発作だよ。ああいう場合は、相手のそういう気を抜くしかない」

コロは北辰一刀流を千葉道場で学んでいるわけではないので、近くにいる子猫を抱き上げて相手の気を抜くようなことはできない。もっとも本当に近くに猫がいたら、そっちの方で興奮して始末に終えないだろうが…

結局、相手の犬と「やるっ、やってやるっ」という気と気を力一杯ぶつけながら通り過ぎることになるのだけど、両方ともリードで抑えられているので実際に斬り合うまでには至らない。


すれ違った犬がじゅうぶんに遠くに行ったのを確認して、やっと短く持ったリードを握りしめている力を緩めた。コロもおとなしいいつものヒタヒタ歩きになって僕の横で何事もなかったようにふるまっている


上記の司馬遼太郎の小説では、竜馬が通り過ぎた後、新撰組の土方が言う。

「大胆な男だな」

「まあ、そうでしょう」
と、沖田総司がうなずいた。

「しかしそれだけではない。われわれの気を一瞬にとかして行ってしまった。(中略)
みな、子供にでも寄りつかれそうに、なごやかな顔になってしまっている」


コロにも、相手の犬の殺気を融かして、なごやかな顔にさせるぐらいの器量をもってもらいたいものだ。


posted by ころすけポー at 12:25| Comment(0) | TrackBack(0) | コロとの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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