2005年03月05日

犬の放し飼い禁止の立て看板


いつもコロや幼稚園児の子どもと散歩に行く公園の一番広い芝生の上に見慣れない看板が立っていた。4本の鉄筋の支柱で立てられた看板には『犬の放し飼い禁止』の赤い文字が書かれている。
よりによって広い芝生の真ん中にこの看板は立てられていたのだ。

これはいったい何なのだろう。と僕は一瞬考えてしまった。この公園で犬を放して遊ばせるのは前から禁止されているし、そのことは公園の入り口にも張り出されている。何もいまさら、子どもが走り回って遊んでいる芝生の真ん中にこんな邪魔な(危険な)鉄筋の支柱まで立てる必要がどこにあるというのだろう。

「危ないではないか」と市役所に抗議したら、犬の放し飼いに対する苦情が多いのでしょうがないのだという。
たしかにこの公園では夕方の散歩の時間などに犬を連れた人がリードを離して遊ばせていることが多いので、それに対して他の住人から苦情が寄せられているという話は前から聞いていた。

だが市役所の公園管理課の話を聞いていて僕はうんざりしてしまった。
結局のところ彼らには犬の放し飼いなどどうでもよくて、苦情を市役所にいってくる人たちに対する言い訳のためにこんな看板を立てたようなのだ。
市役所はこれだけの事をしていますよという言い訳のためだけにこの看板を立てたらしい。

お役所仕事なのだ。
そんなことのためだけに、公園で自由に走り回って遊んでいる子どもが犠牲になると考えると、公園課の担当の話を電話で聞いていてとても疲れた。

さらに、たかが犬が公園で遊んでいるだけのことに関して、それだけ苦情をいってくる人たちがいることに対しても、気がめいった。

犬を公共の場所で放すこと(ノーリードで遊ばせること)については、僕は放される『犬』によると考えている。しつけのできた大型犬やチビ犬が遊んでいる分には誰にも迷惑はかけまいと思うのだ。
攻撃性を持った犬やしつけのなってない犬は放すべくではないが、しつけのしっかりとできた犬などは自由に放してもいいではないか。

(残念ながら僕のうちのコロはこの範疇にはいっていないので僕はいつもリードにつないでいるけれど)

そう、個々の犬にもよるのだと思う。それを画一的に全て禁止としてしまう社会というのは犬にとっても人間にとっても住みよい社会とはいえない。

問題は『たかが』犬のことなのだから、もっとゆとりを持った対応ができないものかと思う。

犬嫌いの人もいるのだから、という反対意見が返ってきそうだが、そういう人たちにも僕はこう言いたい。

全ての人が犬好きになる必要はないし、犬が近寄ってくるのが嫌だという人がいてもいい。
そういう人は犬を追っ払えばいいではないか。子どもにも犬の接し方(追い払い方)を教えるといい。そうすれば必要以上に怖がることもないし恐れることもない。
相手は何万年も前から人類の側で暮らしてきた種族なのだから…。


ナイフが危険だからといって子どもから取り上げる社会よりも、ナイフが危険だからこそ、ナイフの使い方や取り扱い方を教える社会の方がより大人の社会だと思うのだ。
posted by ころすけポー at 00:06| Comment(7) | TrackBack(0) | 飼い主のマナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月02日

犬のフン公害について


毎朝犬を散歩に連れて行く途中、歩道の真ん中に犬のウンチが 放置されている。
大型犬のそれらしくこんもりと、いかにも、
「たった今ここでヒリ捨てゴメンしました」
というウンチが湯気を立てていたりするのだ。

この馬鹿飼い主のはどんなやつのなのだろう、と僕は思う。

毎朝、朝っぱらから腹立たしい思いさせてくれる、この大型犬(らしい)を連れている飼い主とは一度も顔をあわせたことがない。
もしこの飼い主に出合ったら、そいつの犬がしたこのウンチを、飼い主の顔めがけて投げつけてやりたい、といつも思っている。

その時の啖呵として
「このヤロウゥー、くそくらえー」とでも言ってやるつもりだ。文字通りの「糞くらえ」だが温厚な僕も怒るときは怒る。

だけど、僕が怒ってその飼い主をとっちめてもあまり意味がないのだ。こういう公衆道徳のないやつは僕の見ていないところで同じことを繰り返すだろう。


僕の行く公園には「犬の糞は飼い主が持ち帰りましょう」という看板があちこちに掲げてある。全国どこの市町村も同じようなものだろうと思うけど、この看板は市役所で無料で配布しているので自分の家の塀に掲げている家も多い。

この手の標語は何とかならないものかと思う。当たり前のことを当たり前に言っても、誰の心にも響かない。
この手の公衆道徳を促すためには、こんな教科書のようなきれいごとの標語ではあまり効果が望めないだろう。こんなものをつくっておけばいいーと考えているようなお役所仕事にもいい加減にしろよなと思うのだ。


「正しいこと」を言う時には気をつけなければいけない。この場合は自分の犬のしたウンチは自分で持ち帰ろうというだけのことだが、もし議論をすれば絶対に正しいと思っている方(僕の方)が勝つだろう。
でも議論で勝ってもあまり意味がない。つまらない恨みを買うだけのような気がする。
ことはゴミは道に捨てないというだけの公衆道徳に過ぎないのだから、ひとりでも不心得者が減るほうが望ましいのだ。

ではどうすればいいのだろう。

これは人間のトイレの例だけど、先日コンビニのトイレで、
「いつもきれいに使って頂いてありがとうございます」
という張り紙を見た。
これなど公衆トイレにありがちな上から見下すような標語、
『トイレをきれいに!』や
『みんなのトイレだからきれいに使いやがれこのヤロウ』
というような意味合いの標語よりもよほど優れていると思ったものだ。
(要はきれいに使ってもらえばいいのだから…)

またちょっと意味合いは違うけれど、どこかの作家がパリのトイレの張り紙を紹介していた。公衆トイレの男子用の目の高さのところにこう貼ってあったという。

『もう一歩前へ!。あなたの○○○は、あなたが思っているほど長くない』

なるほど文化の国フランスだな、と思った標語だ。

そういうわけで、犬の糞を放置している無知なヤカラにはどう接したらいいのだろう。
機知にとんだセリフはないものかと考えている。

今、前述の大型犬の飼い主に出合ったら僕はこういってやるつもりだ。

まず飼い主に犬のことをほめる。飼い犬をほめられて嫌がる飼い主はまずいないだろう。
立派な犬だ、かわいい顔をしている等さんざん犬をほめた後に、その犬に向かって、

「かわいそうに、こんなに立派な犬なのに(ウンチを放置しているので)町中の嫌われ者になっているなんて…ほんとうにかわいそうだ」



公園に掲げている標語も

『あなたのカワイイ愛犬を町中の嫌われ者にしないためにも、犬の糞は飼い主が持ち帰りましょう』

とすればいいと思うのだ。
posted by ころすけポー at 10:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 飼い主のマナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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