2004年12月11日

第9話 コロ、かまれる、その2

第9話 コロ、かまれる、その2



もう一回流血して縫う負傷をおったことがある。

この時はコロはまったく悪くなくて、一方的な(理不尽な)被害者だった。


今度は僕が散歩をしていた時だ。


コロといっしょにいつもの公園の隅で遊んでいたら、公園の反対側(50m以上離れていた)から飼い主のリードを振り払った犬が、まっしぐらに僕たちのほうに突進してきた。

ものすごい勢いで気が狂ったように吠え掛かってくる犬は、

「うおぉぉぉーー、タマとったるわいッ!」

まるでヤクザの鉄砲玉のような感じだった。

そのまま、コロめがけて体当たりしていきなり噛み付いてきた。

コロは、「何だ?何だ?」という顔で善戦するも、首筋と肩を負傷…
やがて向こうの飼い主もやってきて、やっと2頭を引き離した。

後にも先にもこんなことは初めてだった。
お互いに匂いを嗅ぎあうという犬同士のルールもあったもんじゃない。

今でもたまに『その犬』が飼い主と散歩しているところを見かけるが、なるべく近づかないようにしている。


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2004年12月10日

第8話 コロ、かまれる

第8話 コロ、かまれる



仔犬の頃からウチのコロは相手が大きな犬だろうと、うなって怒っていようとお構いなしに、
「遊んでぇ!遊んで!」
と、犬を見かけるだびに飛びついていってしまう。

この能天気な性格は絶対に飼い主に似たのではない、と私は主張したい。(って……誰に?)


犬社会の基本的なルールを理解していない若造に、
「いっちょう、社会の仕組みちゅうもんを教えたるわいっ」
という犬がいつ現れても不思議ではないと思っていた。


コロが生後5ヶ月ぐらいの頃だったと思う。

夕方の散歩に家内が頃を連れ出しているときだった。平日だったので僕はおらず、
後からかみさんの報告を受けたのだけど…。

コロがいつものように自分の3倍はある大きなムク犬に飛びかかっていくと、いきなりその犬がコロの首筋に噛みついてそのまま押さえ込んでしまった。

ヒンャンヒャンとコロが鳴いても、その犬は大きな体でコロを上から押さえつけて放そうとしない。
コロは怖がってヒャンヒャンとないているばかりだ。

家内はバシバシッとそのムク犬をたたいて、やっと2頭を引き離したらしい。首筋から血を流しているコロをつれて病院へ…

結局、首周りを4針ほど縫った。

「あの犬の野郎ッー(怒怒怒…)メラメラメラー…」

と憤慨している家内から、夜遅くに帰宅した僕はその出来事を聞いた。

喧嘩している犬の中に割って入ると、人間のほうが噛まれることがよくある、ということは、家内の剣幕に恐れをなして黙っていた。

そんなことがあったので、コロの能天気な性格は少しは変わるかと思ったけれども、
翌日からそんなことは無かった事のように無邪気にふるまっている姿を見ると

「この犬は、よっぽどの大物なのかもしれない、それとも単なる馬鹿犬か…」

などと思ってしまった。

どうも後者だったみたいで・・・

posted by ころすけポー at 12:49| Comment(0) | TrackBack(0) | コロとの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月08日

第7話 恐怖のやけど事件

第7話 恐怖のやけど事件

コロが走ると何かが起きる!



それはある夏の日のことだった。

いつものようにコロを連れて近くの公園に散歩に行く。
夏の陽射しがまぶしくて、半ズボンにTシャツでも汗をかくくらいだった。

公園の芝生に誰もいないのを確かめてから、コロの付けていたリードを20mのロープにつけかえた。

この20mのリードはコロに『マテ』や『コイ』を訓練するためにアウトドアショップでロープを買ってきて自作したものだ。
何回かマテ・コイの訓練をした後、いつものようにそのリードをつけたまま、ボールでコロと遊んでやった。

その頃、コロは1歳半ぐらいでもう体重は30キロを越えていた。

足腰の事を考えて、体がある程度出来上がる1歳を過ぎるまで走ることは控えるようにしていた。
でも、もうこの頃には自転車での引き運動をはじめて半年、痩せてほっそりしていたコロの体もみるみるうちに胸板が厚くたくましくなっていた。

力強くなってきた大型犬のコロが、ボールを追いかけて全力で走っていく姿はかなり迫力があった。

その日も何回かボールを投げてやると、そのたびに喜んで走っていく、
だんだんと夢中になってきて、そのうちに、僕は20mのリードが自分の足に絡んでいる事に気がつかずに、ボールを思いっきり投げてしまった。

「もってこーい!」
両耳をヒラヒラさせて、弾むように駆けていくコロ……

その時、半ズボンのむき出しになったフクラハギあたりで、シュルッ、シュルッ、シュルーとロープが引っ張られる音がしたかと思うと、両足に鋭い痛みが走った。

「わあぁぁああー、アツッ、熱ッー」

からんだロープがそのまま引っ張られて、両足のフクラハギをもの凄い勢いでこすっていく。
もんどりうって倒れた僕の両足は、ミミズ腫れのようになって火傷してしまった。
火ぶくれが出来て皮が剥けていた。

そのあまりの痛さにしばらく声が出なかった。
うずくまってうめいていると、ボールを咥えたコロが戻ってきて、

「えっ、どうしたの?、なんかあったの?」という顔をしてのぞきこんできた。

どうしたもこうしたもあるかい!

でも考えてみると、コロは少しも悪くない、一方的な僕の不注意だった。コロを怒る訳にもいかず、ただひたすら痛みを我慢していた。

家に帰ってよく見てみると、両足ともにフクラハギのあたりを20pほどずつ火傷をしていた。火ぶくれのところどころ皮が剥けて血がにじんでいる。
うーん、犬の散歩をしていて火傷をするとは…

それから1ヶ月くらいはお風呂に入っても湯船の中には入れなかった。シャワーも傷跡にお湯がかかると鋭くしみた。

20mリードは今も使っているけれども、それを使う時は細心の注意を払うようになった。

posted by ころすけポー at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | コロとの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月07日

第6話 仔犬だったコロ、夜の散歩

第6話 仔犬だったコロ、夜の散歩



散歩に喜んで出かけるようになったと思ったら、今度はその催促が日増しに厳しくなっていった。

散歩大好きの犬は多いが、ウチのコロはその二の腕に「さんぽ・命」と入れ墨をしているみたいに、散歩に出かけることに全身全霊、まさに命をかけているようなところがある。
リードを手にしてちょっと玄関に顔を出そうものなら、

「さんぽ?さんぽ?わぁーい、さんぽだぁ!さんぽだぁー!」

と、はしゃぎまわっている。

散歩の回数も、仔犬だからオシッコ我慢させるのはかわいそうだという世論(おもに家内の意見?)におされて、いつのまにか「朝」「夕方」「夜」の1日3回になっていった。勤めに出ているので僕には夕方の散歩はできない。早朝と夜の部を引き受けることになった。この夜の散歩(だいたい11時〜12時位)が辛かったぁー。

平日は会社から帰ってくるのが、その時刻だったので、帰宅すると風呂よりも遅い夕飯よりも、まず先にコロを連れ出して夜のオシッコをさせる。お腹は減ってるし疲れているけど、まあこれはしょうがないなぁーと思っていた。

ホントに辛かったのは、休日の夜の散歩だった。休みの日はたいがい夕飯の時から飲んでいる。11時ぐらいが酔っ払ってるピークなのに、コロがヒーヒー鳴いて散歩の催促をしてくる。

眠いのと酔っ払っているので、ほとんどコロに引きずられるようにして歩いていた。

この1日3回のスケジュールは、その後一年ほど続いただろうか。


いまではこの夜の散歩はコロに勘弁してもらってやっていない。もう大人になったコロはオシッコを我慢するのに慣れてしまったようだ。

だから、飲んで帰っても大丈夫だし、休日も酔っ払って“そのまま”寝られるシアワセを再びあじわっている。
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2004年12月06日

第5話 仔犬だったコロ、オシッコしない…

第5話 仔犬だったコロ、オシッコしない…



散歩に連れ出すようになっても、コロは決して外でオシッコやウンチをしようとはしなかった。慣れ親しんだトイレシートの上でしかしない。
散歩から帰ってくると大急ぎでゲージの中に飛び込んで、オシッコをする。

「あぁーよかったぁー、間にあったぁー」

というなさけない顔で長々とオシッコをしているコロの顔を見て、このままではこの犬は一生トイレシートを使っているのかもしれない、と思った。

そんなコロがやっと外で用を足すようになったのは、散歩に連れ出すようになってから3ヶ月ほどたった頃からだった。
近くの公園の中を歩いていると、モゾモゾとし出したかと思うと、繁みの中で初めてスワリションをしはじめた。

やったぁー、と僕は思わず叫んでしまった。それから初めて外でオシッコをしたコロをおもいっきりほめてやった。それ以来、当たり前のように外で大も小もするようになる。トイレシートもすぐに必要ではなくなった。

仔犬だったからオスなのにスワリションしかできなかったコロも1歳を過ぎる頃からイッチョ前に片足をあげてするようになった。
今では散歩に連れ出すと待ってましたとばかりに、まず最初に大量のオシッコをしている。それを見るたびに

「ごめんなぁー、我慢してたんだなぁー、えらいなぁー」

と思うが、休みの日など朝遅くまで寝ている飼い主は、散歩の時間が遅くなることよりも惰眠をむさぼる事を優先している。


ここはと思う繁みにはすべてオシッコしていこうとするコロ、散歩の終わりころにはもう弾切れになって出るものも出ていない。それでも、片足を高く上げようとするのを見て、

「もう打ち止め!」

と引っ張ってきてしまうこともしばしばだ。

今でも、たまにコロがはじめてオシッコをした公園に行く。


「ああ、ここで仔犬だったコロがはじめてオシッコをしたんだなぁ…」
あの時の繁みの辺りを通るたびに、そう思ったりしている。

posted by ころすけポー at 16:12| Comment(0) | TrackBack(0) | コロとの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月05日

第4話 仔犬だったコロ、そとにでるようになると…

第4話 仔犬だったコロ、そとにでるようになると…


犬はどんな感じで喋っているのだろう。もちろん言語を喋る訳ではないのだけど…
この前読んだ本の中で、東海林さだおさんの飼い犬(体育会系の柴らしい)は

「自分は、やたら動き回るのであります!」

という口調で喋っている、というのがあった。

なるほど、わかるような気がする。そういう口調の犬っているよな。
仔犬の頃のコロは、

「あっ、いま目が合った!目が合った!あそんで!あそんで!」

といつも言っていたような気がする。

仔犬のコロはしばらく家の中で飼われていた。ゲージの中で小さな菓子箱の中で丸まって寝ていることが多かった。起き出すとキャンキャンと鳴く。

かまってもらいたくてしょうがないようだった。仔犬だから淋しいのだろうと思っていたが、これはコロの性格から来るもののようで、大きくなってもにぎやかなおっちょこちょいなのは変わらない。

4ヶ月ほどしてから、予防注射も済んでそろそろ散歩に連れて行こうとしても、なかなか外に出ようとはしなかった。玄関から先には恐くて行けないと思っているようだった。
それでもなんとか首輪をつけて散歩に連れ出しても、なかなか動こうとしない。頑固者らしく、踏ん張ってがんばっている。
そんな事を何日かくり返して、やっと恐がらずに外で歩けるようになったと思ったら、今度は好奇心のカタマリのようになって何にでも飛びついていくのに悩まされ続ける事になった。
まだ仔犬だから、といつもの散歩仲間の人たちも最初は暖かい目で見守ってくれていたが、3年もたちすっかり仔犬ではなくなった今でも一向に変わらない性格に
「…あいかわらず…元気…だねぇー」
と、あきれられている。



ラブラドール、盲導犬のイメージとは大違いだ。最近でこそ某TVの「まさお君」や「ゴン太」のおかげて改善されつつあるが、ラブラドールのイメージはまだまだ、大人しい、おりこうという感じがつきまとっている。
とんでもない!
盲導犬なんて100頭に1頭できるかどうかのイヌなのだ。すべてのイヌが盲導犬になれるわけじゃない。
またなれなくても、それはそれでいいのだ。確かに盲導犬や災害救助犬、介助犬たちは立派な仕事をしているし、すばらしい犬たちだけれど、すべての犬がそうなる必要はない。
犬として幸せに生きていく、ただそれだけで、りっぱに飼い主の心の友として過しているのだから・・・
とにかく、ヤンチャなコロ、たぶんこの性格は一生直りそうもない…。




右に電信柱があれば飛んでいって臭いをかぎ、

左に散歩途中のイヌがいれば、
飛びついていってアウアウッ遊ぼうと云う。

一日にフード3合を食い、

欲張りで、決して無駄吠えをやめようとせず、
いつも、ヘラヘラ笑っている、

そういう犬に、私はなりたい。

                     (BYコロ)
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2004年12月03日

第3話 犬を飼う、ラブのコロ登場(当代)

第3話 犬を飼う、ラブのコロ登場(当代)


アパートから戸建てに引っ越して、まず第一に考えたのがこれで犬が飼えるということだった。
思えば小学生の頃雑種のコロと生き別れになって以来、僕は犬を飼っていない。
長年連れそっている猫はいるけれども…
ああ、これでやっと『犬のいる暮らし』ができると思っていると、そこに思わぬ抵抗勢力が現れた。
里親を探している会社の知人から生まれたばかりの仔犬の写真をかりてきた。
飼おうか?と相談すると。
ウチの愚妻豚妻『山の神』が、
「ポー(黒猫)がいるんだから、それでせいいっぱいよ!」
かわいらしい仔犬の写真を見ても心を動かされないなんて、とても人間わざとは思われない。
僕はガーンと言ってやった。
「うるさーい! 一家の主(あるじ)は俺だ! 文句があるならとっとと出て行けー! パンパンパンッ(頬をはりたおす音)」
と…心の中で…思いっきり叫んだのですが…その言葉は何故だか声にはならずに、口から出たのは、
「でもさあ…こんなにかわいいんだし…犬の世話は僕が全部めんどうみるから…飼ってもいいかなぁ…」
「ダメッ!」
「……………」
そういうやり取りが何度かあって、犬を飼うのをあきらめざる状態が続いていた。このままでは犬が飼いたくても飼えなかった小学生の頃と同じではないか。
そこへ思わぬ援軍が登場する。
我が家の隣に住む義母が犬を飼ってみようかと言い出したのだ。義母は夫に先立たれてから一人暮らしをしている…といっても、実の娘夫婦が同じ敷地内の隣の家に住んでいるんだからさほど問題があるわけではないのだが、犬、猫、ハムスター等の生きものが全くダメな人だったので、この発言は意外だった。
生きものに恐くてさわれない…ただこれは後に単に生きものに慣れていないだけだったことは判明する。今では大型犬のコロを猫かわいがりしているくらいだ。


そんな義母が『用心のため』という理由で犬を飼いたいと言い出した。
この提案に僕の方はもちろん異存があるはずがない。
「飼いましょう」

と二つ返事で答えると、みんなの気が変わらないうちにと、その翌日からブリーダーやペットショップに電話をかけまくって犬を探した。その週末にはみんなで仔犬を見に行って、ラブの仔犬を予約してしまった。

防犯のためなら、のんきな大型犬よりもよく吠える小型犬の方が適しているという知識はあったが、僕が大型犬が飼いたかったから、そんな事はおくびにも出さずに、

「やっぱ、大きい犬のほうが泥棒よけになるから…」といいかげんな事を言ってラブラドールレトリバーにした。

電光石火の早わざでトントンと決めてしまったが、今思うとそれがよかったのだ。

生後40日のオスラブが我が家にやってきて、2週間ほどした後に、家内の妊娠が発覚した。この妊娠発覚がもう少し早かったら、犬を飼う話はおじゃんになっていたかもしれない。危ういところだった。

きわどいタイミングで飼う事になった犬には、僕が小学生の頃一度だけ飼った犬の名前を付けた。3kgしかなかったコロコロとした仔犬が日に日に大きくなっていくとともに、家内のお腹もだんだんと大きくなっていく。
ヤンチャな仔犬の騒動と初めての妊娠騒動がいっしょにやってきて、あの年のてんやわんやの一年が始まろうとしていた。
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2004年12月02日

第2話 犬を飼う、初代コロ

小学4年生の時、それまで庭を掘り返したり悪戯をするからと犬を嫌っていた父親がどういう気まぐれか、犬を飼うことを許してくれた。

うれしかった、嬉しくて嬉しくて生まれた仔犬を貰う事になっていた家に行っては、母犬の大きなお腹を眺めていた。
コリー犬の雑種というその母犬は近所に住む同級生の女の子の家で飼われていた。茶色い毛並みがフサフサとしていて、とても綺麗な雌犬だった。
やがて仔犬が産まれた。雑種らしくいろんな毛並みの仔犬たちがいた。


目も開かない仔犬たちがうごめいている姿はいつまでも見ていて飽きない光景だった。
やがてヨチヨチ歩きが出来るようになって、僕は茶色のブチが両目の回りに入った子犬を選んだ。その犬が一番元気がよさそうでかわいらしく思えたからだ。
1ヶ月ほどして貰ってきた仔犬はまるでぬいぐるみのようにコロコロと太っていた。父や母も気に入ったようだった。
僕はこの仔犬に「コロ」と名づけた。
コロは母親から離されて寂しいのか玄関に置いたダンボールの中でヒャンヒャンと夜中じゅう鳴いていた。
犬が自分の家の中にいる、ということが嬉しくて夜中に何度も様子を見にいく。その度に
コロの鳴き声が大きくなった。
何日かするとコロもあきらめたのか、夜鳴きはおさまって一人でダンボールの中で丸まって寝るようになった。覗いてみると時々フンフンと寝言を言っているようなしぐさとしたり、寝返りを打ったりしている。
僕は寝ているコロを抱いて自分のフトンに連れて行った。フトンの中にコロと一緒にもぐりこんで、夜店で買った小さな懐中電灯をつける。そうしていると何だか二人で秘密基地いるみたいにワクワクした気分になった。
やがてコロも大きくなって散歩に連れて出せるようになると、毎日の散歩はまるで夢のように楽しかった。朝早く起きるのも学校から帰ってくるのもすごく楽しみになった。
雨の日も雪の日も毎日散歩に連れて行った。コロは降り積もった雪が好きで雪の中に放すとはしゃぎ回って遊んでいた。雪の中にもぐったり泳ぐように進む姿は見ていてとても楽しかった。
そのコロが、ある日急にいなくなった。

飼い始めて1年ほどたった日のことだ。学校から帰ると庭にコロの姿がなかった。首輪抜けをしたらしく、がらんとした犬小屋にコロのつけていた赤い首輪だけが落ちていた。
その日は自転車に乗って夜中まで探して回った。心配した母親が僕を探し来るまで、泣きながら町中を探して回っていた。
その次の日も次の日も何日も探し回ったけれども、ついにコロは見つからなかった。
その時の喪失感を何に例えたらいいのだろう。
今、思い出しても胸が痛む。
それから何年も、街でコロに似た犬に出会う度に、はっとして胸が高鳴った。
ドキドキした気持ちがなかなか治まらずに、毎回「コロはどこへ行ってしまったのだろう」と考えていた。
愛想のいい犬だったから、誰かに拾われて飼われていたのかもしれない。
今でも目をつぶると、仔犬だったコロの姿が目に浮かぶ。
両目の回りに茶色いブチの入った顔で、小学生だった僕の後をついて回っている。
食事中に手を出した時のうなり声。
僕がオナラをすると後ろに回って「ナンダ?ナンダ?」という顔でクンクンと鼻を鳴らしていたコロ。
今思い出すと、ひょっとしてあの日コロは死んでしまったのじゃないかと思う。
その死を僕に隠すために両親や兄が僕に嘘をついていたのではないか…と。
そう考えるとあの時の記憶がひどく不確かなもののように思えてきた。
今でも何故だか田舎の母には聞けないでいる。多分これからも聞けないかもしれないが、ふと、そんな気がした。
posted by ころすけポー at 12:34| Comment(0) | TrackBack(0) | コロとの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月01日

第1話 犬を飼う?

「人と犬との縁というものも、考えてみると実にふしぎなもので、ある意味では人間どうしの出会い以上にふしぎかもしれない。犬なんてみな同じようなものだと、前は思っていたが、後になってみればその犬以外の犬ではだめだという、かけ替えのない犬になっているのだから。」  
『ハラスのいた日々』中野孝次



子どものころの一番最初の犬の記憶は絵本の中の犬だ。
『101匹わんちゃん大行進』ウォルト・ディズニーの映画を幼児向けに書かれた絵本が好きだった。

多分幼稚園に入る前のことだったと思う。
その絵本の中に出てくるダルメシアンの仔犬たちがかわいくて、毎晩絵本を枕もとにおいて寝ていた。
たくさんの犬たちが出てくるその絵本を眺めながら、僕はどうしたら、自分が犬になれるだろうと考えていた。仔犬になって仲間たちとジャレあっていたら楽しいだろうなぁ、といつも想像していた。
あの頃、僕は犬になりたい、と本気で思っていたのかもしれない。
その頃我が家には犬はおらず、生き物なら何でも大好きだった僕は、犬が飼いたくてたまらなかった。でも、転勤が多かった父親は絶対に犬を飼う事を許してくれなかったので、僕は近所の犬をかまう事で何とか自分の気持ちをなだめていた。
犬を飼いたい自分だけの犬を飼ってみたい。という気持ちは日に日に強くなっていって、とうとう、空想の世界で犬を飼うようになっていた。
目をつぶると、僕の周りにいつもまとわりついてくる小さな子犬がいる。おいでというとすぐに飛んでやってきて、僕の顔をペロペロとなめる。
いろんなところでその犬と遊んだ。
押入れの中でかくれんぼをしたり、近所の空き地で虫を一緒になって追いかけたり・・・いつも僕が一人になったときにはその空想の犬がやってきて、僕のそばで飛んだり跳ねたりしている。その犬はたいがいあの絵本の中のダルメシアンの仔犬だった。
(後年、フィリッバ・ピアス著『まぼろしの小さな犬』を読んだときには、正直びっくりした。幼い頃の自分と同じように、犬を飼いたくてしょうがない孤独な少年が心の中で一匹の犬を飼って、その犬とのふれあいを心の支えにして成長していく、そんなお話だ。)
今、大きな犬を飼っていて、毎朝眠いのをこらえて散歩している。休みの日には公園の芝生の上で犬と一緒になってころげまわって遊んでいる。
その事を、空想の犬と一緒に遊んでいたあの頃の自分に教えてあげたい気がする。
あの頃の自分が、今の幸せな犬との生活のことを知ったら、どんな気がしたのだろう。

posted by ころすけポー at 12:30| Comment(0) | TrackBack(0) | コロとの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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