2007年05月18日

ガクとお散歩、その1

01e7c164ed.jpgガクとお散歩、その1


ガクをつれて犬の散歩に出かけるようになった。

「ガクー、散歩にいくかぁー?」

僕が声をかけると、ガクは何をやっていてもすばやく反応して玄関に向かい靴を履こうとする。
そう、3歳児にとってはTVやゲームの擬似的な体験よりも、外で自分の体を動かして遊ぶ方が楽しいはずだ。

ケイタの時も小さいころから一緒に散歩に出かけたけれど、水泳教室やサッカークラブ等で何かと忙しい兄に代わって、最近ではもっぱらガクを連れ出すようになった。

大きい犬と小さな子どもをつれて歩くのは楽しい。

でも、まだまだ3歳児のガクは道路を歩くのも危なっかしく、気持ちとしては犬のリードよろしくガクにも鎖をつけておきたいところだが、それでは世間から虐待のそしりを免れそうにもないので、左手に犬のリードを持ち右手でガクの手を引くようにしている。

道路上では車道と区切られた歩道であっても、僕はガクと必ず手をつなぐ。そして公園の中に入ったら自由に走り回って遊んでいいというのが僕たち二人の約束だ。

母親は少し心配しているが、「ガクちゃん、約束だよ。約束を守らないと散歩に連れて行かないよ」というとガクは自分から神妙に手をつないでくるようになった。今のところこの約束は堅く守られている。

ケイタがガクぐらいの時は走り出すと止まらなくて危なくてしょうがなかった。ここに書いた文章を読み返して、言うことは聞かないし大変だったことを思い出した。それに比べると弟のガクはたぶんまだ外の世界に慣れていないせいなのだろうが、慎重だしあまり無鉄砲なことはしない。

車が来ようものなら遥か前方にいる時点から、「車だぁー」と道の脇によっていく。固まったまま、握っているガクの小さな手に力が入るのがわかる。

ガクの不安が伝わってくる、この小さな手のひらの感触をずっと忘れないだろうな、と僕は思う。


0220f81acc.jpg




posted by ころすけポー at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 豚児とコロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月15日

第43話 散歩の途中で

散歩の途中で



コロの散歩途中で他の犬に出会うことがよくある。

それまでおとなしく僕の左隣をヒタヒタと歩いていたコロの背中がふわっと逆立つ様子を見て、僕は「やれやれ、またか」と思う。

朝夕の散歩はどこの犬も同じように散歩をしている時間帯なのでどうしても多くの犬とすれ違うことになるのだ。
ほとんどの犬とはトラブルもなく軽く臭いをかぎあう友好的な挨拶をして分かれるのだが、どいうわけか特定の犬(数頭)に対しては異常に敵愾心を燃やしているようで、そんな犬とすれ違う時にはたいへんだ。
はるか彼方にその犬の存在を確認した時から、コロは早くも背中の毛を逆立てて戦闘準備に入っている。
そんな時には、たいがい向こうの犬も同じようにやる気満々の素振りで「やったるわいっ!」と全身で主張しているのだ。


相手の飼い主もリードを短く握りなおして身構えながら通り過ぎる準備をしている。

そんな時、僕はいつも坂本竜馬のことを思い出すのだ。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」にこんな話がある。

竜馬は京(京都)のせまい街路で新選組と出くわした。
竜馬は、新選組巡察隊の先鋒と、あと5・6間とまできて、ひょいと首を左へねじむけた。
そこに、子猫がいる。まだ生後三月ぐらいらしい。
軒下の日だまりに背をまるめて、ねむっているのである。
竜馬は、隊の前をゆうゆうと横切ってその子猫を抱きあげたのである。
一瞬、新選組の面々に怒気が走ったが、当の大男の浪人は、顔の前まで子猫をだきあげ、「ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ」とねずみ鳴きして猫をからかいながら、なんと隊の中央を横切りはじめた。
みな、気を呑まれた。ぼう然としているまに、
竜馬は子猫を頬ずりしながら、悠々と通りぬけてしまった。

竜馬は言う。

「ああいう場合によくないのは、気と気でぶつかることだ。闘(や)る・闘(や)る、と双方同じ気を発すれば気がついたときには斬りあっているさ」

「では、逃げればどうなんです」

「同じことだ、闘る・逃げる、と積極、消極の差こそあれ、おなじ気だ。この場合はむこうがむしょうやたらと追ってくる。人間の動き、働き、の八割までは、そういう気の発作だよ。ああいう場合は、相手のそういう気を抜くしかない」

コロは北辰一刀流を千葉道場で学んでいるわけではないので、近くにいる子猫を抱き上げて相手の気を抜くようなことはできない。もっとも本当に近くに猫がいたら、そっちの方で興奮して始末に終えないだろうが…

結局、相手の犬と「やるっ、やってやるっ」という気と気を力一杯ぶつけながら通り過ぎることになるのだけど、両方ともリードで抑えられているので実際に斬り合うまでには至らない。


すれ違った犬がじゅうぶんに遠くに行ったのを確認して、やっと短く持ったリードを握りしめている力を緩めた。コロもおとなしいいつものヒタヒタ歩きになって僕の横で何事もなかったようにふるまっている


上記の司馬遼太郎の小説では、竜馬が通り過ぎた後、新撰組の土方が言う。

「大胆な男だな」

「まあ、そうでしょう」
と、沖田総司がうなずいた。

「しかしそれだけではない。われわれの気を一瞬にとかして行ってしまった。(中略)
みな、子供にでも寄りつかれそうに、なごやかな顔になってしまっている」


コロにも、相手の犬の殺気を融かして、なごやかな顔にさせるぐらいの器量をもってもらいたいものだ。


posted by ころすけポー at 12:25| Comment(0) | TrackBack(0) | コロとの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月08日

第42話 コロのお留守番

コロのお留守番


先日親戚の結婚式があり、コロが一人で(一匹で)留守番することになった。

短時間の買い物は別にして、我が家の全員が外出することはほとんどないので、コロが一人に(一匹だけど)なるような状況はまずない。
留守番といっても横浜の結婚式に行ってその日のうちに帰ってくる間だけなので、午前10時から夜の9時ごろまでだけなのだが、そんな半日だけでもコロだけにしておくのはほとんど始めての状況なので僕たちは心配してしまった。

さらに夏場ということもあって、昼間庭にいるコロは日差しを避けて午前午後とその居場所を代えているのだけど、誰もいないとなるとそれも出来ない。
そちらの方はエアコンをつけっ放しにした玄関にいれておくしかなさそうだ。

一番気になるのはトイレのことだった。通常ならば朝の散歩を済ませた後、出発前の10時近くにもう一度オシッコだけすませれば、たぶん大丈夫だろう。夜9時に帰宅してすぐに散歩に連れ出せばそんなに辛い思いをさせなくても済むと僕たちは考えていた。

だがそれはコロの状態が通常ならばという条件つきだ。以前書いたように下痢気味だったりしたら、悲しそうに排便を催促して鳴き続けるに違いない。

前日まで通常の健康的なウンチをしていたので僕はそんなに心配はしていなかった。
慌てたのは当日の朝のことだ。いつもの6時前に時間なのにコロが「くぅん、くぅん」と変な鳴き方をしていた。
おお、僕の心のバイリンガルによると、これはお腹を壊した時の、ウンチをがまんできないようー早くさんぽにつれってってくれー『鳴き』なのだ。
あわてて散歩に連れて行くと案の定コロは何回も下痢気味のウンチをした。

結婚式当日なので、どうしようと思った。運転手の僕がいないと家族全員が移動手段が電車になってしまう。行きつけの動物病院に預かってもらうか、と考えたがとりあえず、出発まで様子を見ることにした。
以前罹ったようなウィルス性の下痢だとほぼ1時間おきに催して鳴き出すはずだ。幸い10時もう一度散歩に連れ出しても、オシッコはするものの下痢の気配はなくてほっとして、僕たちは出発した。

帰りの車の中でも、コロは大丈夫だろうかと逸る気持ち抑えつつ運転していた。幸い高速が空いていたので8時過ぎには家につくことが出来た。

急いで帰ったにもかかわらず、コロは何事もなかったように玄関の中でおとなしく寝ていた。
posted by ころすけポー at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | コロとの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月26日

第41話 チワワな人

チワワな人



そのオジサンを見かけたのは数ヶ月前のことだ。コロの散歩の途中で同じように犬連れの男の人がいた。変った散歩の仕方で犬に引きずられるようにして歩いている。
我が家のコロのように大型の犬なら少し引きずられるように歩いていても仕方がない(躾としてはそうさせてはいけない)と思うのだが、そのオジサンの連れているのは小さなチワワなのだ。

このチワワがまたしつけがまったく出来ていないようで散歩の最中に勝手に向きを変えて走り出したり、いつまでも繁みの中の臭いをかいだりして我が物顔に振舞っている。その身勝手な犬の行動にあわせるようにリードを持ったおじさんが必死にチワワを追いかけて走っている様子は、初めて見たときにはとても不思議な気がした。

「ハチ、ハチ…」おそらく犬の名前なのだろうが、そう連呼しながらも叱るでもなく小走りに走り去る年配のオジサンは見ているだけでもかなり面白かった。

ハチという名前のチワワは忠犬ハチ公とは似ても似つかないくらいのがらっぱちの性格のようだし、犬の方ではなくて連れている飼い主の方が家来になっている様子は、「忠義を尽くされている犬」という意味で忠犬なのかもしれない。

犬と飼い主というようりも王様と召使と言った方がそのイメージに合う。

僕のなかでこのおじさんを『チワワな人』と呼ぶことに決めた。


チワワな飼い主とは散歩の時間帯がほぼ同じようで、それからも何度か見かけた。あいかわらずチワワに引きずられるようにして小走りに走っている。

なぜこのおじさんは自分で立ち止まらないのだろう。痩せていて線の細そうな男性とはいえ人間の体重ならば、いくら怪力のチワワでも引き摺りまわせるとはとうてい思えない。この男性が立ち止まりさえすれば、チワワはリードで繋がれているのだからそれ以上の距離は自分勝手に走り回れないだろうに・・・

と考えてふと気がついた。おそらくこの気の弱そうな飼い主にとって、リードで引っ張って可愛いチワワの首を絞めるようなことができないのだろう。チワワの首輪を引っ張って苦しめてしまうことなど想像もできず、行きたい方に走っていってリードがピンと張らないように心がけているのにちがいない。

なんという忠臣…

一瞬、志村けん演じるバカ殿様を追いかける年老いた家老のコントを想像してしまった。

犬の飼い方の知識をひけらかして、躾がなってないとか主従関係が逆になっているというのは簡単だけど、この気の弱そうな『チワワな人』とハチの関係はそれはそれでいいのかなと思わないでもない。


「ハチ、ハチ…」

今日もチワワな人はバカ殿犬を追いかけて小走りに走り去っていった。



posted by ころすけポー at 11:18| Comment(0) | TrackBack(0) | コロとの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月17日

犬とあそぶ

犬とあそぶ

image051701.jpg



ガクは外で遊ぶのが大好きだ。

家の中でばかり遊んでいると飽きてしまうらしく、「いくかぁー」と僕の手を取って外に出ようと誘う。

天気のいい日に庭でガクと犬のコロを放し飼いで遊ばせていると、ふたりは勝手に遊んでいることが多い。自分に与えられたボールを齧ることに夢中になっているコロから少しはなれた場所で、ガクはピクニックテーブルの上に外用の車のオモチャを並べていた。

リードで繋がれていない大きな犬を意識してチラッチラッと様子を伺っている。

しばらくするとボールに飽きたコロがガクの(砂場で遊ぶような)オモチャを咥えていこうとした。モノを噛み砕き破壊することにこの上ない喜びを感じているコロはいつもガクのオモチャをねらっているのだ。

ケイタがガクくらいの時には、彼の怖いもの知らずの性格故か、フセをしているコロの背中にまたがったりして遊んでいたものだ。でもガクは自分より数倍大きな犬がまだ怖いらしく、遠回りにおもちゃを取りにいったり、犬を避けているところがある。

そんなことを気にしないコロがガクの顔を舐めようと近寄ってくるとあわてて僕の方に逃げてきた。


「こわい、こわい…」

「ガクチャン、怖くないよ よしよししてあげな。ヨシヨシ」


ヨシヨシというのは軽く背中やわき腹をさすることだと理解し始めたガクは、コロに近づいていって背中を叩く。
でも、2歳児はまだ加減というものをしらないので、その叩く様子が犬をなだめているレベルではなく、バシバシと叩いていた。
それはヨシヨシではないだろうと思うのだが、気のいい我が家の愛犬はこの坊主の仕打ちにも怒ったりはしない。
さらにガクは犬のしっぽの様子が気になるらしく、興奮して振り回している犬のしっぽをつかもうとさえするのだ。


image042904.jpg

さすがにしっぽを捕まれたら普通の犬だったら嫌がるか怒るのでまずいと、はらはらしてしまうのだが、不思議と犬のコロは幼い子どもには逆らったりしない。しょうがないなとでも言うように好きにさせているころを見るとさすが大人だと感心してしまった。


多くの人が誤解しているのだが、犬は頭を撫でられるのを嫌う。いきなり視界の外から手が出てくるので彼らはびっくりしてしまうらしい。僕は小学校の頃にこれで近所の犬にかまれらことがある。他にもしっぽをつかまないとか、食事中に手を出さない(エサをとられると思った犬が逆上する)とか犬への接し方のタブーがいくつかある。うちのコロは小さいころから、食事の時にわざと手を出したり、しっぽをさわったり頭をぐりぐりして遊んでいたので、こういうことで怒ったりはしないのだが、幼い新参者のガク(おそらく犬の考える我が家の順位では最下位)に対しても寛容にふるまえるのか僕は少し不安だった。お互いを慣れさせるためにも僕の目が届くところで一緒に遊ばせるようにしている。

そうやって庭で遊ばせているとガクも少しずつコロに慣れてきた。

ボールを追いかけて咥える行為がガクの笑いのツボにはまってしまったようで、僕がボールを投げてコロがそれを咥えるたびに「がははああー」とガクが笑う。

コロの方は数回でこの遊びに飽きてしまうのだが、ガクの方は何回やっても同じように笑っている。

そういえば数年前、兄のケイタがガクぐらいの時にコロのマネをよくしていた。ゲージの中に入ってマテオスワリをしたり、犬用のオモチャのダンベルを咥えてコロを追いかけていたこともあった。

もうしばらくすると、休日の散歩は何かと忙しい小学生に代わって、ガクを連れて出かけるようになるのだろう。

ただ、犬と違ってガクはまだ「マテ」すら満足に出来ないので、それは当分先のことのようだ。

image042905.jpg
ボス犬のノミとりをするサル
posted by ころすけポー at 14:09| Comment(0) | TrackBack(0) | コロとの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月22日

第40話 幼児と遊ぶ

幼児と遊ぶ


我が家には二人の男の子がいる。兄のケイタ(小1)の方はボクとコロの散歩にも行くしエサやりのお手伝いもしてくれるので、コロの扱いも手馴れたものなのだが、弟のガク(2歳半)の方はまだ大きな犬が怖いらしい。
何とかガクの方にもコロになれさせるように庭で一緒に遊ばせていると、コロ自身は小さい子供と一緒にいるのは慣れたものでおとなしくしている。

ボールを放るとコロが喜んで取って来るのが、どういうわけか2歳児の笑いのツボにはまったらしく、コロがボールを追いかけて咥えるたびに「ぎゃがぁはっはっはっはっー」と豪快に笑っていた。





力関係で犬に負ける


勝手に遊んでいるふたり

image041401.jpg
ああ…ボクのおもちゃが…

image041404.jpg
ガジガジガジ(破壊してやるッ)…


image041403.jpg
ガク12キロ、犬のコロ35キロ…

自分の体重の2倍以上ある犬に、何も言い返せずに遠くをみつめるガク・・・




  
posted by ころすけポー at 16:56| Comment(0) | TrackBack(0) | コロとの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月31日

第39話 ブログを読む犬

ブログを読む犬

散歩の意味するもの



犬は散歩が欠かせない。散歩は彼らの縄張り確認のための重要な日課だから、どんなに広いお屋敷に住んで広い庭に犬を放し飼いにしていたとしても、毎日の朝晩の散歩がなくては彼らはストレスがたまってしまうという。

街路樹の根元や草むらで必死になって匂いをかいでいるコロを見るたびに、彼は今情報を集めているのだなと思う。犬の嗅覚は人間には想像も出来ないくらいの優れものらしい。近所の犬の残した臭いにその犬の性別、体調、気分や夕べの晩御飯のおかず、最近気になっている雌犬のゴシップ記事というような情報をかぎ分けているようなのだ。

臭いを嗅がせないしつけというのを犬雑誌で見かけたことがある。幼犬のときから、そういう楽しみを教えないしつけ毎日することで、臭いをがぎ回ることをしない犬になるそうだ。
そういう人間にとって都合がいいだけの犬のしつけに僕は疑問を感じる。
(これはペットとして飼っている犬のことで介護犬や盲導犬のような仕事をしている犬の場合はまた別の話になるけど)

犬にとって他の犬の臭いをかいで回ることは、僕たちが新聞やTVを見たりするのを同じだ。僕たちが新聞もTVもインターネットも無しの生活に耐えられないように、犬達も情報を得ることに快感を感じているに違いない。

そう、犬が臭いをかいでいるのは毎日更新されているご近所のブログを読むようなものなのだ。


もちろん程度問題なのだけれど、少しぐらいは彼らにも彼等の楽しみがあってもいいではないかと思う。


posted by ころすけポー at 23:42| Comment(1) | TrackBack(0) | コロとの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月04日

第38話 帰ってきたハカイダー コロ


帰ってきたハカイダー コロ


「許さんッ!」というメールがカミサンから届いた。

何事か思ったが、なんでもカミサンの赤いサンダルをコロが齧ってボロボロにしてしまったということだった。
こういう破壊行為はなにも今回が初めてではない。でも、そのサンダルは今日買ってきたばかりのもので、買ってきてまだ履いてもいないうちに壊されてことがショックだったらしい。

普段コロは玄関で寝ているのだけど、家族の履物にいたずらするようなことはない。叱られると分かっているから誰かの匂いのついた靴を噛んで壊したりしないのだが、そのサンダルにはまだカミサンの匂いがついていなかったのだろう。新しいおもちゃとでも思ったのか、前足で引っ張り出して噛みついて遊んでいた。

気がついたときにはもう片方のサンダルがボロボロになっていたという。被害にあっていない片方が新品だけに、カミサンのくやしさは倍増だった。
「許せない、泣きたいよう…」という泣きのメールが入っていたけれど、その日は一日中ケイタが気にして、
「おかあさん、まだ、コロのこと怒ってる?」と何度も言っていたらしい。
ケイタはこういう優しいところがあって、怒られているコロがかわいそうになったのだろう。

母親に添い寝をしてもらって寝る時にも、

「おかあさん、まだ、コロのこと怒ってる?」と聞いて、

「もう、怒ってないよ」という返答に自分が納得するまで気にし続けていた。


自分のオモチャを壊された時など、「もう、コロなんか嫌いだ。バカッ!」と怒りをぶちまけることもあるけれど、このときは優しい仲介者のような態度だった。さすがに自分のことじゃないから冷静のようだ。

仕事から帰った時に、その話を聞いて、僕からもコロを叱っておいたからとカミサンを慰めた。

叱るといっても、帰宅した時に、

「コロ、サンダル壊したんだってぇー、ダメじゃないかぁー、ヨシヨシッ…」

と首筋を軽く撫でてやっただけだけど…



posted by ころすけポー at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | コロとの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月08日

第37話 自転車を引き倒された

自転車を引き倒された



コロを連れて散歩をしていた時のことだ。草むらに行きたがるコロをなだめながら自転車をこいでいると急に彼が立ち止まって動かなくなった。近くの繁みに魅力的な匂いをかぎつけたらしい。強引にリードを引っ張るコロに引きずられるように僕は自転車ごと引き倒されてしまった。

コロに自転車から引き倒されたのは久しぶりだ。

と落ち着いて考えられるようになったのはしばらくしてからのことで、この時は虫の居所も悪かったのもあいまって僕はコロを怒鳴りつけてしまった。

怒りのままに怒鳴りつける主人に圧倒されたのか、コロは萎縮して小さくなっている。
それからは僕のリード裁きに敏感に反応するようになった。過剰に僕の顔を伺っているようだった。

僕は怒鳴ってしまったことに自己嫌悪になっていた。コロの間の気まずい雰囲気も嫌な感じだ。

確かに散歩途中で強引に自転車を引き倒すほど引っ張るのは、ルール違反だけど注意不足だった僕のほうも悪い。普段だったらそんな事態になる前にコロの行動を制御して事なきを得ていたはずなのだ。

一方的に怒鳴ってしまったことにも、人間にとって都合のいい犬だけをいい犬と決め付けて、自分に都合の悪い犬を悪い犬と決めつけている自己欺瞞の飼い主のようで嫌だった。
犬にだって犬の都合があるのだ。人間の都合だけでいい犬悪い犬が決まるわけではない。

気まずい沈黙の中で散歩を続けるのも嫌だったので、公園のベンチに腰掛けて一休みすることにした。

僕はこういう時にどうしたらいいのか知っている。自分の気持ちを宥めるためにもコロと仲直りをする簡単な方法があるのだ。

それは犬がいつもやっている必ず出来る簡単な命令出して、それに従った犬を褒めることだ。

「座れ」と声をかけてそれに応えるコロをことさら大袈裟に褒めた。首筋を何度も撫でながら大きな声で「よーし、よーし」と声をかけているとコロもうれしそうに尻尾をふってくれた。
先ほど怒鳴りつけた飼い主にも、そんなことは少しも気にかけた様子もなく精一杯の信頼した目で応えてくれる犬を見ていると、気まずい気持ちを引きずっていた自分が恥ずかしくなってきてしまう。

僕にとっては今目の前にいるこの犬ほど「いい犬」はいない。




posted by ころすけポー at 14:12| Comment(0) | TrackBack(0) | コロとの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月07日

第36話 近所のやすらぎの場所

近所のやすらぎの場所


近所に猫や犬の溜まり場と僕が呼んでいる一角がある。

その家の玄関先にはいつも34匹の猫がのんびりと寝そべっているのだ。玄関脇にある犬小屋につながれている小型犬も猫達と仲良しらしく一緒にゴロゴロしている光景をよく見かける。
狭い路地をはさんだ向かい側の家にも人懐っこい大きな犬がいて、いつも日向ぼっこをしながらまぶしそうに寝ている。性格のよさそうな犬でうろちょろしている猫達に吠えることもなく仲良くやっている様子はいい感じだ。

猫や犬達が平和にくつろいでいる姿を観るのは楽しい。そこを通るたびに僕は穏やかな気持ちになった。

でも、その静寂を毎日破る無法者がいる。

他ならない僕が連れたコロなのだけど、こいつは猫を見かけると一瞬のうちに背中のタテガミをそびえかせて戦闘体勢完了、攻撃準備OK!になってしまうのだ。
猫や犬がくつろいでいるところにさしかかる度に、暴れ出しそうなコロをリードで押さえつけるのに一苦労している、何度もコロを叱っているのだけど、散歩のたびにここを通るのだからそろそろ学習をしてもいいころなのだ。でも彼の辞書には『学習』という文字はないようで、一向に改めようとはしない。
猫達がいないときも、そこに繋がれている大人しそうな犬にも突っかかっていこうとするから困り者だ。

こうなることは分かっているのだから、ここを通らなくてもいいものだが、いつかはコロも猫や他の犬に慣れて「知らん顔をして通り過ぎることが出来るのではないか」と思っているので訓練のつもりで散歩のたびにそこを通るようにしているのだ。

でも、コロにはコロの言い分があるのかもしれない。

そこにさしかかる前に必ずコロは『チラッ』っと僕の顔をうかがう。
自分が暴れるのはわかっているのに、わざわざ猫のいる道を通る主人のことを
『なんて学習能力のないヤツだ…』
とコロはコロで思っているようなのだ。







posted by ころすけポー at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | コロとの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。