2005年09月26日

第35話 真夜中の散歩

草木も眠る丑三つ時…

階下で寝ているコロが騒いでいた。クン、クゥン…と甲高い小声で鳴いて僕を呼んでいる。人や犬が近づいてきた時のけたたましさとは鳴き方が違うので、何を要求しているのかすぐに解った。

きっとお腹を壊して、ウンチがしたいのだろう。

と僕は思った半年に一回ぐらいで下痢になって夜中におこされることがあるのだ。
(第22話 コロ 夜に鳴く)

時計を見ると午前2時を少しまわっていた。まあしょうがない、寝ていたのだけど支度をしていつもより多めにティッシュをもって散歩に出かける。

我慢していたらしくコロは早足で歩き出した。いつもこういう時はすぐに排便を始めるのだがこのときは少し違っていた。なかなかウンチをしようとしないのだ。

オシッコは何度もするのだが、肝心の『大』の方をする気配がない。いつまでたっても、お尻を両足の間に巻き込むようなウンチングポーズをとろうとしない。

ウンチではなくて、ただ散歩がしたかっただけなのか?

そう思うと、真夜中の2時過ぎに懐中電灯をもって犬を散歩させていることがひどく滑稽な気がした。人通りも車の通りもほとんどない道を犬に引っ張られている姿は、とても怪しい人のようだ。

警察に職質されたらどうしよう…と考えていると、やっとコロがウンチを始めた。でも、そのウンチは下痢便のそれではなく、量は多いものの普通のウンチなのだ。

そうか、お前はだたウンチがしたかっただけなのか…

そう言うと、コロいかにも情けなさそうな顔で僕を見上げた。

結局いつもの散歩コースを一周して帰ってきたのだけど、その帰り道にコロは何度も僕の顔を見上げて、すまなそうな顔をするのだ。
僕が怒っているのを申し訳ないと思っているらしい。下から見上げる瞳が「すいません、すいません…」といっていた。

情けなさそうなコロの顔を見ていると怒る気にもなれず、

「いいよ、いいよ、生理的なことなんだからしょうがないさ」

僕は何度もコロにそう声をかけた。



   




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2005年08月01日

第34話 コロちゃん、はぁ、はぁ、はぁ


このタイトルだと2ちゃんねるの書き込みみたいだが、暑さにからきし弱いコロは本格的な夏シーズンを迎えて、毎日「はぁはぁはぁはぁ…」と辛そうにしている。

コイツは冬の寒さにはめっぽう強いくせに、夏の暑さだけは本当にダメで、毎年食欲が無くなったり体調を壊したりしてしまうのだ。

食欲が無くなってくると、励ましながら手のひらから食べさせたり、いつもの固形フードに缶詰を加えてみたり、何とかだましだまし食べさせている。

そんなにげんなりしているのに、秋になって少し涼しくなると今度は、来るべき冬に備えるつもりか、それこそ食欲の権化のように食べ出すから不思議なものだ。

いまのところ、食欲はまだ大丈夫なようだが、今年の夏も暑い日々が続く。

夜は家の中に入れているけれど、日中は外にいるコロは少しでも涼しい居場所を求めて、時間ごとに日陰の場所に移動している。朝はココ、昼はアソコ、夕方は…太陽の移動につれて涼しい場所が変わるので、それにともなってコロが休んでいる場所も変わるのだ。

それでもどうしようもなく暑くなると、最後には冷房を入れた家の中で休ませるようにしている。

最初から家の中に入れればいいのだが、それではコロの日中の楽しみがなくなってしまう。外にいるからこそ、いろいろな人が通ることを眺めて楽しむことができる。散歩途中のヨソの犬にちょっかいを出したり、隣の家の猫に吠えかかったりするのも彼の大いなる楽しみのようなのだ。実際にコロは朝早くでも外に出たがって僕を呼ぶのだ。

朝夕の散歩以外にも、外にいたい気持ちはよくわかる。小さい子どもがお外で遊びたいように、コロも家の中よりも庭の方が楽しいと思っているにちがいない。

でも、夏はこれからが本番だ。
なんとか食欲だけは維持して乗り切ってもらいたいものだ。

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2005年06月03日

第33話 コロ、Good Job !

いつものように休日の夕方、コロをつれて公園に散歩に出かけた。近くにある大きな池のある公園だ。
大きな池の周りが遊歩道になっていてその周りを一回りしてくるのがコロのいつもの散歩コースになっている。この池のカモや鯉にコロが敵意を持っているということは前回書いた。

遊歩道にはところどころにベンチが置いてあって、いつもは近所の老人達が暇そうに集っているのだか、その日、みなれない若いカップルが座っていた。

若い男女が人目をはばからず、いちゃついている。会話のはしばしから推測すると、いかにも頭の悪そうなバカカップルらしい。電車の中などではよく見かけるけれど、こんな老人と子どもの遊び場になっているような公園ではあまり見かけたことがなかった。

恋愛中は瞳に霞がかかって相手が実物以上によく見えてしまうものだ。かのスタンダールもその恋愛論で「どんなヘチャムクレの若い女でも、恋する男の瞳には絶世の美女のように見えている」と言っている。この男も隣に座っているブタとマントヒヒを足して山田花子で割ったようなご面相を、上戸綾やシャラポワのように思っているのだろう。


こんなバカカップルを見かけても、心ある大人は「ああ、サルどうしが発情しているのだな」と思うくらいで、見てみない振りをするものだ。
コロを連れた僕も見ない振りをしてそのベンチの前を通り過ぎようとした。

断っておくが、僕もコロもこのカップルの邪魔をしようとは少しも思っていなかった。


二人の前を通りすぎようとすると、コロに気がついた女の方が男に話している声が聞こえた。

「かーわいいぃー、大きな犬って、いいよねぇー…あれは、ゴールデンレトリバーだよね、あたしも飼ってみたいなぁー・・・かわいいー」


鼻につく『かわぁーいいぃー』というアクセントに、違う!ラブラドールだ、と思いつつも僕は聞こえない振りをして、そのイチャついたカップルの前を通りすぎようとした。

その時だ。僕の左側をおとなしく歩いていたコロがお尻をもぞもぞと持ち上げて踏ん張り始めた。間が悪いというか、よりによって2人のいるベンチの真正面で、ウンチをはじめてしまった。

はしゃいでいた男女の会話が止まった。横目でも気まずい雰囲気の沈黙がわかる。

道幅があるから3、4mは離れてるとはいえ、狙ったかのようにベンチの真正面だった。その日のコロは調子がよかったのかいつもより大量にいいウンチがでた。

生き物を飼うということは、かわいいだけじゃなくてこういうことだよなぁーと思いながら、僕はコロのウンチをビニール袋で拾った。その間も、こみ上げてくる笑いをかみ殺すのが大変だった。

何も気がつかず、ああーさっぱりしたという顔のコロを促して、僕は歩き始めた。しばらく行った後に振り返ると、ベンチに座っていたカップルが去っていくのが見えた。


コロが意図したことではないけれど、あまりにタイミングの悪い(良い)出来事だった。
狙ってもこれほどうまくいくとは思えない。

頭をなでながら、僕は声をかけた。

「コロ Good Job !」

何もわかっていないコロはいつものようにシッポをふってニコニコした顔で僕を見上げていた。
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2005年05月30日

第32話 親水公園で

コロの散歩に近所の親水公園によく行く。

大きな池のある公園だ。
大きな鯉が何匹も群れていて、その鯉に餌をやる人が多い。
家からほんの数分なので、よくパンの耳を持って子どもたちを連れて行く。

冬の間は渡り鳥のカモがたくさんいて、餌をやりに来る人も多かった。カモにパンの耳をちぎって放り投げると争うように飛びついてくるのだ。

「おとうさん、あの鳥はなんていうの?」
子どもにそう聞かれても僕は答えられなかった。

「あれは、カモ…だな」
「じゃあ、あれは?」
「うーん、あれも、カモ…の一種だな…」

恥ずかしかったので家に帰ってからネットや図鑑で調べた。
おかげで、今ではたいがいの種類のカモはわかるようになった。キンクロハジロ、オナガガモ、ハシビロガモ、ヨシガモ、コガモ、マガモ、カルガモ、オシドリ…
名前を覚えることで、その生き物に対する興味もわいてくるものだ。身近にいる渡り鳥たちに対する見方も少し変わった。

暖かくなって渡り鳥はほどんどいなくなってしまったけれど、池の真ん中の小島でカルガモが営巣している。

そんな市民に親しまれているカモ達なのだが、どういうわけか、コロだけは、それを快く思っていない。
カモなんか、自分がレトリーブ(回収)する獲物に過ぎないとでも思っているのか、幼稚園に通っているケイタが、パンの耳をちぎってカモにえさを与え始めると、コロが怒りだす。

パンの耳はコロにとっても大好物なのだ。


「カモにやるくらいならー、オレにくれーッ!」

といわんばかりに毎回毎回吠えていた。
池の中のカモと交互にコロにもパンの耳を食べさせないと、うるさくてしょうがない。
大好きなパンの耳をかすめとる悪い奴らと思っているか、コロは泳いでいるカモ達にも敵意をむき出しにしていた。


カモがいなくなって、今度は鯉にパンの耳をあげるようになった。ここの池の鯉はみんなに餌をもらってまるまると太ったものが多い。水面に落ちるやいなや大きな口がそれを吸い込んでいる。
それがパンの耳を池に投げ捨てているように、コロには見えるのだろう。

「池に捨てるくらいならー、オレにくれーッ!」

尻尾をバンバン振りまわして怒っている。

捨てているわけではなくて、鯉に餌をあげているだけなのに…



posted by ころすけポー at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | コロとの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月03日

第31話 猫ダッシュ


散歩途中で猫と出くわすと、コロは必ず背中を逆立てて怒りをあらわにする。
こんな時、猫に向かって突進していくコロを抑えるのがたいへんだ。

猫を発見したとたん、背中の毛がふわっと逆立つ。僕はこれを見るたびに、風の谷のナウシカが怒りに我を忘れて「くわッ!」となるシーンを思い浮かべてしまう。

オームほど破壊力はないものの「怒りに我を忘れている」コロは次の瞬間、猛烈にリードを引っ張ぱって走り出そうとするのだ。

僕はこれを『猫ダッシュ』と呼んでいる。

猫を見かけると、それが遠くだろうと子猫だろうとお構いなしに、毛を逆立てて飛びついていこうとする。実際に飛びつかせたことはないが、もしリードを離して彼の自由にさせたらどうなるのだろう。

飛びかかったとしても、コロでは猫の鋭い爪にやられて返り討ちになるような気がする。実際、ケンカで猫の鋭い爪に目をやられる犬が多いそうだ。
コロは、以前、自分の体の半分以下の小さな柴犬に一方的に噛み付かれたことがあるので、その勢いほど強そうには見えない。だぶん一撃でやられてしまうかもしれない。

散歩をしている時はたいがい僕のほうが先に猫の存在に気がつくことが多い。まだ猫の姿に気づいていないコロを横目で見ながら、「くるぞ、くるぞ」と身構えていると、やっと猫の姿を観とめたコロが、くわっっと毛を逆立てて『猫ダッシュ』を始める。

こういう時はこちらも準備ができているので、その対応に抜かりはないのだが、困るのは逆の場合だ。コロの方が先に猫を発見すると、いきなりリードを引っ張られることになる。
走り出したがるコロをなだめつつ、「どこ?どこ?」とあたりを見回すのだ

この猫ダッシュで自転車ごとひっくり返ったこともあるけれど、最近では慣れてきたので不意打ちをされても転ぶことはまずなくなった。


猫ダッシュと同じように『カラスダッシュ』というのもある。カラスダッシュの方は相手のカラスが飛び立ってしまうので、コロもかなわない。
アホ面で見上げているコロを残して飛び去ったカラスにあからさまに馬鹿にされている始末だ。。

「アホーぉ、アホォー」

猫にしろカラスにしろコロとは違う種族なのだから相手にならずに和やかな無関心を装って欲しいものだ。



posted by ころすけポー at 13:32| Comment(0) | TrackBack(0) | コロとの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月22日

第30話 スケボーの音が嫌いだッ!


犬は嗅覚の他に聴覚も優れているから、大きな音が嫌いだ。雷が鳴ると怖がるとかよく聞く。

それも犬によるようで、ウチのコロは雷の音をほとんど気にもとめない。雷が近くで鳴っていようが平気で寝ていてピクリとも動かないことがある。

コイツは音に鈍いのかと思っていると、ある種の音には過剰に反応することに気がついた。

コロが嫌いな音は、スケートボードの音だ。

スケボーをやっているそばに来ると以上に興奮して怒り出す。乗っている人間が動くのが嫌いなのかと思っていたのだが、そうではなくてあの音そのものが嫌いのようだ。同じような反応をキックボードに出会うとする。


よく散歩に行く近くの公園は『スケボー禁止』なのだが、休みの日になると近所の茶髪のアンちゃんたちが集まってよくスケボーをやっている。
ガガガァーという音が聞こえてこうよものなら毛を逆立てて怒っているコロを宥めるのがたいへんだ。

茶髪のアンちゃん達もちょっと話してみると、朴訥な気のいい若者たちのようで、スケボーにさえ乗っていないとコロもしっぽを振って愛想を振り撒いてさえいるのだ。
小さい子も遊んでいる公園なのでその点は彼らも気を使っているようで、スケボーくらい多めに見てやれよ、と僕などは思うのだが、コロだけは近所のこうるさいジジイのようにスケボー少年達を叱りつけている。

「ここはッぁあー、『スケボー禁止』やどォーおおおおおオオー!こぉーらぁーあああー!」

とでも言っているつもりなのだろうか…


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2005年04月16日

まぼろしの小さい犬

著者: フィリパ ピアス, 猪熊 葉子, フィリパ・ピアス
タイトル: まぼろしの小さい犬



ユング心理学の河合隼雄さんの本「子供の本を読む」・・・)でフィリッパ・ビアスを知った。
「トムは真夜中の庭で」(岩波ジュニア文庫)などを読むと子供向けの児童文学としてはもったいないくらいの本だ。

こういう言い方もおかしい。余談だが、(というとこのHPがすべて余談だ、というツッコミはしないでくださいね。)僕は子供向けにかかれたとされる本が嫌いだ。
子供の頃、児童書を読むのが嫌いだった。いかにも子供向けに取って付けたようなハッピーエンドに書かれた本を読んで、ふざけるな!なめんなよッ!といつも思っていた。子供には教育的な?配慮をしてこのくらいのものを読ませておけばいいんだというような大人の(作家の、出版社サイドの)傲慢さが透けて見えるようで、そんな本を読むのが嫌いだった。
僕を子供時代に読書嫌いにしたのは(自慢じゃないが高校にはいるまで僕はマトモニ読んだ本はほとんどない、宿題の読書感想文などは読みもしないのにあとがきを脚色して嘘八百を並べ立てていた。)こういう似非児童文学だ。

だけど大人になって気がついたのは児童文学でも玉石混交なのですね。いい本はいい。大人が読んでも面白い児童文学が数多くある。(ひどい本もそれ以上に多いという話はとりあえず置いといて…)
だいたい大人が読んで面白くない本を子供が読んで面白いはずがない、と僕は思う。

優れた児童文学は子供よりも大人が読むのにふさわしい。このフィリッパ・ビアスの「まぼろしの小さい犬」もその一つだ。

上記の河合隼雄さんの本で知った時、本屋を探したけれどこの本は見つからなかった。復刊もされていないし古本屋でもなかなか見つからない。しょうがないから杉並の図書館で借りて読んだ。

犬を飼いたくてしょうがない少年が、心の中でまぼろしの犬を飼うことを空想する。空想の犬はやがて現実の犬以上に少年にとってかけがえのないものとなっていく……
僕も子供の頃犬を飼っている同級生がうらやましくてしょうがなかった。あの頃僕も心の中で空想の犬と遊んでいたのだ。
自分の子供の頃の記憶がまざまざと思いおこされて、心の奥の琴線が打ち震える、そんな一冊だ。

(今ではこの本は岩波から復刻されています)

  
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2005年04月13日

犬もゆったり育てよう―「ぼんやり犬」養成講座

著者: 藤門 弘
タイトル: 犬もゆったり育てよう―「ぼんやり犬」養成講座


著者の藤門さんは北海道の余市でアリスファームを経営している人、アリスファーム関係の本は何冊か読んだことがある。(北の大地で暮らす・・・他)
それよりも椎名誠や野田知佑の本でよく出てくるあやしい探検隊の人のほうがわかりやすい。

犬をゆったり飼おうという主張は僕も賛成だ。

いい犬というのが『人間にとって都合のいい犬』という意味なのだということをもう一度考え直してみた方がいい。長い歴史の中で人間は犬を自分の都合のいいように作り変えてきた。世界中に多種多様な狩猟犬や愛玩犬がいるのはそのためだ。中には人工的な改良のため、健康を害している種さえある。筆者によるとぺギニーズやシーズーなどの鼻のつぶれた愛玩犬は中国4千年の悪趣味だそうだが、確かに鼻のつぶれた犬種というのは異様だ。普通の犬の鼻の長さに比べ、その内部構造を無理に縮めた結果、彼らは先天的に呼吸器系統に障害を持つようになってしまった。
(これを思うと僕は中国の悪名高い纏足を連想してしまう)

それでも、犬たちはその長い歴史の中で人間を信頼して暖かいまなざしを人類に向け続けてきた。
人間と共存することで生き残ってきた犬たちの不幸な歴史を考えると、今もって、芸なんかさせるのは人間サイドの不遜な自己満足にすぎないだろう。

犬は傍らにいるだけでこちらを幸せな気分にしてくれるのだから。
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2005年04月06日

デキのいい犬、わるい犬

著者: スタンレー コレン, Stanley Coren, 木村 博江
タイトル: デキのいい犬、わるい犬―あなたの犬の偏差値は?



このタイトルを見てまず思った。なんと嫌なタイトルだろう…

子どもの教育でも悪名高い偏差値なぞを持ち出して、犬の能力、それも人間に都合のいい能力を推し量って、犬を差別するなんてトンでもないやつだ。

どんな犬だっていいところがあるし、もし不幸にも悪い犬がいたとしても、その原因の多くは人間によるものだ。

と怒りをあらわにしていたら、内容はそんなんじゃ全然無くて、
原題も「The Intellgence of Dogs」(犬たちの知能)なんですね。

筆者は心理学者なのに、犬好きがこうじて犬の訓練士の資格までとってしまったという犬バカだった
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2005年04月02日

イヌ なんでも交際学

イヌ なんでも交際学
著者: 沼田 陽一
タイトル: イヌ なんでも交際学


愛犬家は目の中に入れても痛くないほど、イヌをかわいがる。
だがそれははたしてイヌにとって喜ばしいことか。
そう考えると、私はイヌの立場になれば、一方的な溺愛はイヌにとって迷惑至極なことになるのではないかと思うのである。

その迷惑の最もたるものが、「うちのイヌは自分を犬と思わず、自分を人間だと思っている」という飼育感覚である。

ここにも「人間はイヌよりも上」という思い上がった考えがある。
上だからこそ「うちのイヌは特別」という地位を与えることになる。我が家のイヌにだけは、特別に人間にしてあげたことになる…(本文より)


なるほど、僕もペットに服を着せたり猫可愛がりする人を見ると、なんかおかしいと常々思っていたけれど、そういうことだったのかぁ。


  
posted by ころすけポー at 13:54| Comment(0) | TrackBack(0) | イヌの本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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