2005年03月08日

僕たちはこんなところに行ってきた。(その1)

道志川渓谷のキャンプ場にて

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山奥のキャンプ場に着くと、誰もいなかった。
さすが平日に代休を取って来ただけの事はある。

混んでるキャンプ場なんて最低だものなァ。何で自然の中にまで来て、区画されて狭い長屋のようなキャンプを張らなければいけないのか。某有名どころのキャンプ場に行く人々の気が知れない。

道志川沿いは首都圏からも近いのでたくさんのオートキャンプ場があるけれども、僕たちが行ったのはその中でも最も広いキャンプ場だった。その一山のどのくらい奥までキャンプ場なのかよくわからないくらい広いそうだ。

しかし、だれもいない。うしししっしし・・・
管理棟に行っても管理人すらいない・・・全くに無人だった。

習慣でコロを近くの木に繋いで、テントの設営をはじめようとして、ふと気がついた。

「そうかぁー、誰もいないんだから、コロを自由に放しても問題ないや」

リードを外してやると、コロは一目散に山の中に駆け込んでいって、野生動物を追いまわしていた。しばらくすると、血みどろの野うさぎを咥えて戻ってきた・・・

と、いうようなことは全く無くて、コロは放されてもテントの周りや僕の回りでウロウロしているだけだった。

ぺグを打ったり、ロープを張ったりしている僕の回りを興味深そうにあっちに行ったりこっちに行ったりして一人で遊んでいる。全然、遠くに行こうとはしなかった。たまにいなくなったかと思うと、木立の向こうからこちらの様子をうかがっている。
ちょっとでも僕の姿が見えなくなると不安らしくて、水をくみに行く時もトイレに行く時もあとからついてきた。



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ただ、コロは、テントサイトのそこらに無造作に置いてあるいろんなものを咥えて持っていってしまう。

ペグや木槌、ランタンケースやヘッドランプは、コロにとって格好のおもちゃになっていた。何でも持っていっては離れてカジカジしている。
なかなか返してくれない。
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やっとコロを捕まえて取り返した頃には、それらはコロのヨダレと噛み砕かれてぼろぼろになってしまっていた。
まあそんなに高いものじゃないからいいけど・・・ひょっとしたらテントやターフまで壊されてしまうかと思った。

小雨が降ったりやんだりしていたので、とりあえずテントとスクリーンターフだけは早く設営してしまいたかった。それさえできてしまえば、多少雨が降ろうが風が吹こうがお構いなしにその中で煮炊きができる。
幸いに、もう雨はあがって来た様子だった。

夕方コロと散歩に出かけた。もちろんノーリードで・・・コロは僕の横を付かず離れずについてきた。街中で散歩をするよりも数倍はよく言うことを聞く。コロも初めてのところで不安だったのだろうか。
ちょっと離れても、軽く呼ぶとすぐに飛んできた。何て賢いヤツなんだ。

誰もいない河沿いをコロと二人で歩いていると、都会の喧騒やワールドカップのお祭り騒ぎがまるで別世界の出来事のような気がした。

コロは初めてのキャンプに疲れたのか、テントに入ると夜の7時にはもう眠ってしまった。

コロと二人だけで同じところで寝るのは初めての体験だった。
僕はしばらく一人で酒を飲んでから寝たのだけど、コロが夜中におきだして何回も起こされた。

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夜中の12時、1時、2時、3時と約1時間おきにコロは目が覚めるらしく、そのたびにヒマなものだから、人の顔を嘗め回して起こそうとする。
最初はトイレにでも行きたいのかとテントを開けて外に出してやった。でも、オシッコではないらしく、そのままテントの中に戻ってきてしまう。

遊んでもらいたかったのかもしれないが、1時間おきに起こされる方はたまったもんじゃない。
最後は朝の4時に起こされた。しょうがないからそのまま起きてしまって、また釣に出かけた。
(平成14年6月某日)


おしまい!


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2005年03月05日

犬の放し飼い禁止の立て看板


いつもコロや幼稚園児の子どもと散歩に行く公園の一番広い芝生の上に見慣れない看板が立っていた。4本の鉄筋の支柱で立てられた看板には『犬の放し飼い禁止』の赤い文字が書かれている。
よりによって広い芝生の真ん中にこの看板は立てられていたのだ。

これはいったい何なのだろう。と僕は一瞬考えてしまった。この公園で犬を放して遊ばせるのは前から禁止されているし、そのことは公園の入り口にも張り出されている。何もいまさら、子どもが走り回って遊んでいる芝生の真ん中にこんな邪魔な(危険な)鉄筋の支柱まで立てる必要がどこにあるというのだろう。

「危ないではないか」と市役所に抗議したら、犬の放し飼いに対する苦情が多いのでしょうがないのだという。
たしかにこの公園では夕方の散歩の時間などに犬を連れた人がリードを離して遊ばせていることが多いので、それに対して他の住人から苦情が寄せられているという話は前から聞いていた。

だが市役所の公園管理課の話を聞いていて僕はうんざりしてしまった。
結局のところ彼らには犬の放し飼いなどどうでもよくて、苦情を市役所にいってくる人たちに対する言い訳のためにこんな看板を立てたようなのだ。
市役所はこれだけの事をしていますよという言い訳のためだけにこの看板を立てたらしい。

お役所仕事なのだ。
そんなことのためだけに、公園で自由に走り回って遊んでいる子どもが犠牲になると考えると、公園課の担当の話を電話で聞いていてとても疲れた。

さらに、たかが犬が公園で遊んでいるだけのことに関して、それだけ苦情をいってくる人たちがいることに対しても、気がめいった。

犬を公共の場所で放すこと(ノーリードで遊ばせること)については、僕は放される『犬』によると考えている。しつけのできた大型犬やチビ犬が遊んでいる分には誰にも迷惑はかけまいと思うのだ。
攻撃性を持った犬やしつけのなってない犬は放すべくではないが、しつけのしっかりとできた犬などは自由に放してもいいではないか。

(残念ながら僕のうちのコロはこの範疇にはいっていないので僕はいつもリードにつないでいるけれど)

そう、個々の犬にもよるのだと思う。それを画一的に全て禁止としてしまう社会というのは犬にとっても人間にとっても住みよい社会とはいえない。

問題は『たかが』犬のことなのだから、もっとゆとりを持った対応ができないものかと思う。

犬嫌いの人もいるのだから、という反対意見が返ってきそうだが、そういう人たちにも僕はこう言いたい。

全ての人が犬好きになる必要はないし、犬が近寄ってくるのが嫌だという人がいてもいい。
そういう人は犬を追っ払えばいいではないか。子どもにも犬の接し方(追い払い方)を教えるといい。そうすれば必要以上に怖がることもないし恐れることもない。
相手は何万年も前から人類の側で暮らしてきた種族なのだから…。


ナイフが危険だからといって子どもから取り上げる社会よりも、ナイフが危険だからこそ、ナイフの使い方や取り扱い方を教える社会の方がより大人の社会だと思うのだ。
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2005年03月02日

犬のフン公害について


毎朝犬を散歩に連れて行く途中、歩道の真ん中に犬のウンチが 放置されている。
大型犬のそれらしくこんもりと、いかにも、
「たった今ここでヒリ捨てゴメンしました」
というウンチが湯気を立てていたりするのだ。

この馬鹿飼い主のはどんなやつのなのだろう、と僕は思う。

毎朝、朝っぱらから腹立たしい思いさせてくれる、この大型犬(らしい)を連れている飼い主とは一度も顔をあわせたことがない。
もしこの飼い主に出合ったら、そいつの犬がしたこのウンチを、飼い主の顔めがけて投げつけてやりたい、といつも思っている。

その時の啖呵として
「このヤロウゥー、くそくらえー」とでも言ってやるつもりだ。文字通りの「糞くらえ」だが温厚な僕も怒るときは怒る。

だけど、僕が怒ってその飼い主をとっちめてもあまり意味がないのだ。こういう公衆道徳のないやつは僕の見ていないところで同じことを繰り返すだろう。


僕の行く公園には「犬の糞は飼い主が持ち帰りましょう」という看板があちこちに掲げてある。全国どこの市町村も同じようなものだろうと思うけど、この看板は市役所で無料で配布しているので自分の家の塀に掲げている家も多い。

この手の標語は何とかならないものかと思う。当たり前のことを当たり前に言っても、誰の心にも響かない。
この手の公衆道徳を促すためには、こんな教科書のようなきれいごとの標語ではあまり効果が望めないだろう。こんなものをつくっておけばいいーと考えているようなお役所仕事にもいい加減にしろよなと思うのだ。


「正しいこと」を言う時には気をつけなければいけない。この場合は自分の犬のしたウンチは自分で持ち帰ろうというだけのことだが、もし議論をすれば絶対に正しいと思っている方(僕の方)が勝つだろう。
でも議論で勝ってもあまり意味がない。つまらない恨みを買うだけのような気がする。
ことはゴミは道に捨てないというだけの公衆道徳に過ぎないのだから、ひとりでも不心得者が減るほうが望ましいのだ。

ではどうすればいいのだろう。

これは人間のトイレの例だけど、先日コンビニのトイレで、
「いつもきれいに使って頂いてありがとうございます」
という張り紙を見た。
これなど公衆トイレにありがちな上から見下すような標語、
『トイレをきれいに!』や
『みんなのトイレだからきれいに使いやがれこのヤロウ』
というような意味合いの標語よりもよほど優れていると思ったものだ。
(要はきれいに使ってもらえばいいのだから…)

またちょっと意味合いは違うけれど、どこかの作家がパリのトイレの張り紙を紹介していた。公衆トイレの男子用の目の高さのところにこう貼ってあったという。

『もう一歩前へ!。あなたの○○○は、あなたが思っているほど長くない』

なるほど文化の国フランスだな、と思った標語だ。

そういうわけで、犬の糞を放置している無知なヤカラにはどう接したらいいのだろう。
機知にとんだセリフはないものかと考えている。

今、前述の大型犬の飼い主に出合ったら僕はこういってやるつもりだ。

まず飼い主に犬のことをほめる。飼い犬をほめられて嫌がる飼い主はまずいないだろう。
立派な犬だ、かわいい顔をしている等さんざん犬をほめた後に、その犬に向かって、

「かわいそうに、こんなに立派な犬なのに(ウンチを放置しているので)町中の嫌われ者になっているなんて…ほんとうにかわいそうだ」



公園に掲げている標語も

『あなたのカワイイ愛犬を町中の嫌われ者にしないためにも、犬の糞は飼い主が持ち帰りましょう』

とすればいいと思うのだ。
posted by ころすけポー at 10:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 飼い主のマナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月28日

小次郎

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小次郎



小次郎は黒い小さな柴犬だ。生後間もない頃から見ているけれど、あまり大きくならないのでいつまでの仔犬のようだ。
軽いフットワークで跳ねるように走り回る姿は、とても楽しそうにみえる。走り回るのがうれしくてしょうがない様子が感じられて、見ている僕たちの方も楽しい気分になってくるのだ。

めったに吠えない大人しい柴犬だから、小次郎は公園にやってくるみんなに可愛がられている。

飼い主のおじいさんと顔見知りになり毎日あいさつを交わすようになった。たまにおじいさんがお孫さんらしい小学生と一緒に小次郎を連れているのを見かけるが、いつもはおじいさんが一人で小次郎と散歩している。

僕は年寄りが犬を連れている姿が好きだ。一人でベンチに座って所在無さ気にしている老人はいかにもさびしそうだが、その側に一匹の犬がいるだけでこちらの気持ちも穏やかになるような気がする。
余計なお世話かもしれないがそう思ってしまうこと自体、動物による癒しのような気がするのだ。この場合見ている僕にとっての『癒し』なのだが…。
この人間好きなちいさな人類の友達はその存在だけでも、都市生活に疲れた僕たちを癒してくれているのだと思う。

2年程してから公園で立ち話をしている時に、僕は小次郎がメス犬だと気がついた。

「小次郎はメスなのですか?」

驚いてそう尋ねると、飼い主のおじいさんは平気そうに

「いやぁー、前に飼っていた犬が小次郎という名前だったから…」

といった。


「???」

大丈夫かぁーじいさん。

メスなのに小次郎なんて名前をつけられて可哀想な小次郎は、そんなことはお構い無しに幸せそうに毎日散歩している。

めったに吠えないのはメス犬だったかららしい。
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2005年02月27日

ウィッシュボン

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ウィッシュボン



コロが初めて外の散歩をはじめた頃、ほとんど同じぐらいの黒ラブの仔犬と知り合いになった。
小学1年生のシュン君という少年とお父さんがメスの仔犬を散歩させていた。
それがウィッシュボンだった。。
ウィッシュボンと言う名前はアメリカのTVドラマから名づけられたらしい。


それ以来、散歩の途中でよくシュン君が一人でウィッシュボンを散歩させているのに出会うようになった。まだ仔犬で言うことをよく聞かないらしく、シュン君の方が引きずられるようにして歩いていた。
コロは初めてできた同世代の友達がうれしいのか、ウィッシュボンと会うとケンカしているような激しいじゃれ合いを毎回するようになった。


シュン君はとても元気のいい小学生で、僕と出会うとどこでも大きな声で、

「コロのおじさん!」

と声をかけてきてくれた。
照れやハニカミとはまだ無縁らしく、とても大きな声で「おはようーッ!」という。

ある時、近所の大きな池のある公園で散歩をしていたら、僕を見つけたシュン君が池の向こう側から大声で、

「コロのォーおじさーんッ!」「おはようーー」

と叫んできた。

50メートルほど向こうから大声で挨拶してくる少年に思わず僕はたじろぎながらも

「おぉ…おう…」と答えた。

まだ自分の子どもが生まれる前だったので、こんな素直な子どもが僕には眩しいような気がしたのだ。

最近ではシュン君も高学年になっていそがしいのか、彼がウィッシュボンと一緒に散歩しているのには出会わなくなった。

時々、車でシュン君の家の前を通ると、ウィッシュボンがつまらなそうに道路を見ているのを見かける。
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2005年02月25日

エース

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エース



エースはとても小さな子犬だった。初めて出会ったときはとてもゴールデンの子犬には見えないくらいに痩せてヒョロヒョロとした仔犬だった。
コロが散歩を始めてまもなくの頃だ。生後6ヶ月のコロに比べるととてもひ弱そうに見えた。
そのくせ元気だけは人一倍あって追いかけっこをして走っても勢いあまってひっくり返ってしまう。

そんなエースも1年が過ぎ2年が過ぎるころになると、たくましく毛がフサフサのぶんだけコロよりも大きく太って見えるようになった。

エースは鼻にしわを寄せて唸る癖がある。
怒っているのかと思うとそうでもなくて、仲良く遊んでいる最中でも,この鼻にしわを寄せて唸ったりするのだ。とぼけた顔で鼻にしわを寄せるので笑ってしまう。

エースの朝は早い。
平日は毎朝、飼い主さんと夜明け前のまだ暗いうちからジョギングしている。
(ということを知っている僕も暗い中を懐中電灯をもって散歩しているのだけど)

毎日5時半には散歩にでかけるらしい。夏ならいいけど冬の5時半というとまだまだ真っ暗だ。
でも僕もそうだけどサラリーマンの家庭で犬を飼うと、朝の散歩は早くならざるを得ない。都心への通勤時間を考えると散歩を6時前になってしまう。

そんな苦労も『犬を飼う生活』の楽しみを考えると、しょうがないと思うのだ。
posted by ころすけポー at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | コロのともだち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月24日

オスカーとメグ

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オスカーとメグ



オスカーはゴールデンレトリバーだ。
コロよりも一回り大きいので体重は40キロを超えているだろう。
コロとは一ヶ月違いの同じ年生まれなので、仔犬の頃からいっしょに遊んでもらっている。

普段僕は公園の中で他の犬がノーリードで遊んでいても、コロのリードを離したりはしない。どこに飛んでいくか分からないので危なくてしょうがないのだ。
だが、このオスカーといっしょの時には安心してリードを離すことができる。コロはオスカーが好きでしょうがないらしく、彼の後ばかり追いかけてその周りでじゃれているだけだから、捕まえようと思うと簡単に捕まえられるからだ。

コロはオスカーを見ると必ず後ろから馬なりになって『ヘコヘコ』しはじめる。僕がいくら「やめろッ!」と言っても、この犬に出会うと必ずこの『ヘコヘコ』が始まってしまうのだ。
オスカーもコロもオス同士だし、コロは去勢しているというのに、この『ヘコヘコ』は仔犬の頃からやめようとしない。
不思議なことにコロはオスカー以外の犬に対しては決してそんなことはしないのだ。

またオスカーもコロが『ヘコヘコ』するのには黙って許してくれている。飼い主さんによると他の犬が同じようなことをしようとするとオスカーはひどく怒るらしいのだが、コロにだけはどういうわけか、この無礼な振る舞いを許してくれているみたいだ。

オスカーは体格がいいので見栄えがする立派なゴールデンレトリバーなのだが、気がやさしいくておっとりしているところが僕は好きだ。



オスカーはいつもメグという犬といっしょに散歩している。メグは狸のような顔をした芝犬系の雑種だ。

この犬はこの公園に棄てられていた犬だった。
まだほんの生後一ヶ月くらいの頃にこの公園に棄てられていたのを、いつもの散歩仲間の僕たちが見つけたのだ。夏の暑い日でそのままにしておいたらすぐに死んでしまっていただろう。

もらい手がいなかったこの犬をオスカーの飼い主さんが引き取って育てているのだ。
この犬も人懐っこい犬で誰にでも愛想を振るまき、オスカーやコロと追いかけっこをして遊んでいる。
そうやってひとしきり遊んだ後、いかにも血統のよさそうなゴールデンのオスカーと狸のような雑種のメグがいっしょに、幸せそうに帰っていく。
見ていてとても気持ちがいい光景だ。


posted by ころすけポー at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | コロのともだち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月23日

ドーベルマンのカレン

コロのともだち
ドーベルマンのカレン



コロの散歩の途中いつもの公園の入り口付近で、犬を連れた人たちが、

「おい、ドーベルマンがいるよ」

とビビっている声が聞こえた。
公園の中に入っていくと茶色いドーベルマンを連れた人がいる。


「なあぁんだぁー、カレンじゃないかぁー」
僕よりも先にコロの方がカレンに気がついて、猛烈に吠え始めた。



確かにドーベルマンと言う犬種はイカツイ顔をしていて見るからに怖そうだ。このカレンというメスのドーベルマンもコロを見かけると物凄い勢いで吠えてくる。コロも負けずに吠え返すので知らない人が見たら、とんでもないケンカが今にも始まりそうな感じなのだ。

だが、このカレンはドーベルマンのくせに気が弱いというかメスだからなのか、コロの前にくるとあれだけ吠えていたのがウソのようにおとなしくなって、子犬のようにじゃれ始めるのだ。
さらにコロの前で寝転がりお腹を見せて服従のポーズまでとっている。
おとなしくて人好きな、いい犬だ。

コロに対してだけなのかと思っていると、そうでもなく他の小さな犬に対しても気弱そうに接しているカレンを見ると、人は見かけによらないものだ(人ではないけど…)と改めて思う。

人も犬も見かけで判断してはいけない。

ドーベルマンの怖い顔を見ていると、ギリシャ神話に出てくる死者の国の門番はきっとこんな犬だったんだろうなと思う。

そんな怖い顔とは裏腹に、寝転がっていつもへらへら笑っているカレンが僕は好きだ。
posted by ころすけポー at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | コロのともだち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月22日

第28話 食事の我慢「ヨシ」

食事(えさ)の時、コロは誰かが『ヨシ』といううまで、じっと我慢している…という話は前回書いた。


そんなに強く教え込んだつもりはないのだけど、コロはかたくなにこれだけは忠実に守っている。
ドッグフードの入った器を前に置いてやっても、あるいは彼の大好きなパンの耳 (こんなんが大好きで、トーストが焼ける音がすると耳がもらえると思って喜んだりする) を与えても、決してコロはそのまま食べようとはしない。

誰かが「ヨシ」といってくれるのをじっと待っているのだ。

人間の言う事なんかそんなに一生懸命にきくことはないのだよと、僕は思う。

コロにもそう言っているのだが、『誰かからヨシという声がかかるまでは食べない』と、コロは自分で決めているらしく、その自らが決めたルールを頑固なくらいかたくなに守っている。


ある日、僕がこの「ヨシ」というのを言い忘れて家の中に入ってしまったことがあった。

しばらくして外でコロが鳴きだした。
また散歩している犬が通りかかったのだろうと思っていたのだが、なかなかその鳴き声がやまない。

「なに騒いでんだよー」

と外に出てみると、すわったままのコロが怒ったように僕に向かって吠えた。

コロの前には一口も食べていないエサの器がそのまま置いてある。
かわいそうに、エサを目の前にしてずーっとお預けをさせてしまっていたのだ。


「ごめんなぁー、コロ…」

僕は、慌てて「ヨシ」と命令したけれど、あっという間にドッグフードを食べてしまったコロに申し訳なくて、ビーフジャーキーやニボシをあげてご機嫌をとった。

散歩の時の他の命令には、ずいぶんいいかげんに聞き流すことも多いのに、コロは食事の「ヨシ」だけは、何故だかわからないけどいつもこんな感じなのだ。



posted by ころすけポー at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | コロとの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月19日

第27話 エサの時間

ケイタとコロ


この頃、ケイタはコロの散歩から帰ってきた後、コロの身体を拭いたり、エサをあげたりするのを手伝うようになった。
「お父さんのお手伝いをするんだ」と言っているものの、本心は少しでも長く外で遊んでいたいというところらしい。

ドッグフードの入った器を持ったケイタに、喜んでコロがまとわりついてくる。

ケイタが、

「バァック、バァック」

と、後ろに下がらせておいて、得意そうに、

「スワレ」 「マテ」 と言っている。

そんなケイタの言葉に、コロが機敏に反応して従っている姿は、その反応が素早いだけに(食べたいあまりなのだが)いじらしいくらいだ。
幼稚園の年中組でも小さい方のケイタの体重はまだ18sしかないのけど、そんなチビにほぼ倍の35sのコロが素直にしたがっている姿は、何度みても思わず笑ってしまう。。


普段のコロはケイタの指示に従うことは、まずない。
だが食事の時だけは別だ。ドッグフードを目の前にすると、食べたい一心から何でも言うことをきく『おりこうな犬』になってしまう。

最初のうちはこの食事前の命令ですら、ケイタの言うことは何一つコロはきいてくれなかった。
コロは食事の時に誰かが「ヨシ」と声をかけてくれるまで決して自分から食べようとはしないのだが、その「ヨシ」という命令ですら、ケイタではダメだった。

食事の器を前において、ケイタに「ヨシ」と言わせても、コロはキョトンとしているだけで反応しようとはしなかった。コロ自身は食べたくてしょうがないのだけど、ケイタの言葉では食べようとしないのだ。
犬が人の言うことをきかない時は、「その人が何を言っているのか」が犬に伝わっていない場合が多い。
ケイタの「ヨシ」がコロに通じていなかったらしい。

「ケイタぁー、エサを指さして、『ヨシ』っていってごらん」

何度か文字通り指をさして、指示をあたえると、コロもだんだんケイタの言うことをきくようになった。

あくまで、食事前の時だけなのだが、そうやって手で合図しながらだと「スワレ」「フセ」の命令も、コロはケイタの言うことをきいてくれるようになっていった。



エサの器を前にして、ケイタが偉そうにコロに命令をしている。

「スワレ」 「フセ」 「スワレ」 「お手」…

一通りやってからでないと、コロは「ヨシ」と言ってもらえない。
コロにとっても辛いことだけど、この気のいい犬は何とかケイタに調子をあわせてくれている。



posted by ころすけポー at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 豚児とコロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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